本日、10月25日午後2時以降の配達で手配しました。このレコードはSOLDOUTとなります。録音は1956年5月29日〜31日。このベートーヴェン:《交響曲第7番》の録音に続いて、モーツァルト:《交響曲第29番》、ベートーヴェン:《交響曲第5番》の録音が行われています。ベートーヴェンの5番は第1楽章を書いているので、レコードで発売された録音はモーツァルトがグィド・カンテルリの白鳥の歌。
先日NHKのBSで、映画「大脱走」が放映されていましたが、映画と同じように収容所から集団大脱走の末に脱走に成功したのはふたり。そのひとりが指揮者グィド・カンテルリでした。イタリアの軍人の息子に産まれた若者は、14歳の時に「天才少年ピアニスト」としてデビュー。音楽界の寵児になります。
その後、ドイツ軍に対してレジスタンス活動を行いますが逮捕されて各地の収容所を転々としています。映画「大脱走」の登場人物を思わせます。
グィード君の大成功についてあなたに報告できることを心から嬉しく思っています。彼を私のオーケストラに紹介してよかった。楽団員たちも、私と同じように、彼のことが好きになりました。私は長い経歴の中で、これほど才能のある若者に出逢ったことがありません。彼はきっと成功します、この先きっと。
1856年にモーツァルトの生誕100年を記念した音楽祭が開かれ、それを継続して開催されるようになったザルツブルク音楽祭。それから更に100年後の1956年のザルツブルク音楽祭で、演出も自ら行ったモーツァルトの歌劇《コジ・ファン・トゥッテ、女はみんなこうしたもの》を大成功させた後、将来の成功をトスカニーニに期待されていたカンテルリは突然の不慮の事故で亡くなります。それはトスカニーニの待つニューヨークでの演奏会を行う為に乗った飛行機の離陸失敗でした。この飛行機事故で二人の生存者が残ったのですが、この度はカンテルリはこの二人になる事はありませんでした。そして訃報は到着を待つトスカニーニは知らされる事は無かったと言います。36歳の若い天才指揮者の死でした。
このザルツブルク音楽祭で詳細を浴びた指揮者がもう一人。それがフェレンツ・フリッチャイ。1956年当時彼は42歳。2年後に白血病の悪化、カンテルリの後を期待されるようにモーツァルトの歌劇《イドメネオ》で追加演奏会が開かれるほどの大評判を得ますが、その翌年に《ドン・ジョヴァンニ》を上演した後で白血病の悪化が進み、闘病生活を送っていたまま音楽界に戻ること無く亡くなります。1963年、48歳での病死でした。
何かの巡り合わせでしょうか、この1956年のザルツブルク音楽祭というのはフルトヴェングラーの後を受けてヘルベルト・フォン・カラヤンが音楽祭の代表となった年なのです。そしてまた、この1956年にハンガリー動乱をくぐり抜けた若き指揮者が居ました。ピアニストのジョルジュ・シフらと共に西側へ亡命を成功したのがイシュトヴァン・ケルテス。ケルテスはフリッチャイの後を受けて登場したラファエル・クーベリック --- フリッチャイが白血病視した1968年、クーベリックは“プラハの春”事件の渦中にありました。 --- と入れ替わるようにウィーン・フィルの期待を得ます。しかし、1973年のこと。ウィーン・フィルとブラームスの交響曲第4番を録音している途中で、録音の合間に遊泳中に海岸から姿を消してしまいます。溺死したと判断された43歳での死でした。
カンテルリ、フリッチャイ、ケルテスは、帝王カラヤンの10歳、20歳年下となる“ライヴァル”と言われていた存在でした。その3人の中でひとりでも事故や病気を逃れていたら、カラヤンに“帝王”の冠はついていたでしょうか。
中でもケルテスはカラヤンの後継者とも賞賛され、何よりウィーン・フィルの信頼を浴びていました。ケルテスの死を惜しんだウィーン・フィルは、ブラームスの交響曲第4番がこのままお蔵入りになるのは悲しいと、録音されず終いとなった第4楽章を指揮者なしという前代未聞のレコーディングで完成させています。ウィーン・フィルの意地だったのか、ザルツブルク音楽祭の主役はウィーン・フィルであり、ベルリン・フィルから退任を求められたカラヤンがウィーン・フィルだけで今後は続けていこうと決断した矢先にカラヤン自身が急死。「左胸のあたりが調子悪いから、自宅の温水プールで泳いだ」数時間後の心不全での最後でした。ケルテスの死にはカラヤンの陰謀説もあったぐらいで、因縁めいた最後にも思えます。そして、長年の関係であったにもかかわらずカラヤンとウィーン・フィルの進行中だった録音は未だ手つかずのままに放られています。
カラヤンはウィーン・フィルとの関係を改めて深めて、1991年にはザルツブルク音楽祭に戻ってくる予定になっていました。それから数えて20年。数多くの録音が未だ生きているカラヤン。SP録音、モノラル録音からステレオ録音、デジタル録音とどのくらい有るのでしょうか。カンテルリが残したステレオ録音は、わずか6曲。そのうちの貴重な1曲がこのベートーヴェンの7番の交響曲です。
ステレオ録音で発売されたレコードは6曲。他の4曲は、モーツァルト:《音楽の冗談》、シューベルト:交響曲第8番《未完成》、ブラームス:《交響曲第4番》、フランク:《交響曲》。
SOLDOUT 2010年3月に、アマデウスクラシックス第20回頒布盤として案内したレコード。
【交響曲】
- レーベル:英 EMI CLASSICS FOR PLEASURE
- レコード番号:CFP - 103
- オリジナリティ:1stラベル
曲目: ベートーヴェン:交響曲No.7
演奏:
- 指揮: グィド・カンテルリ
- 管弦楽: フィルハーモニア管弦楽団
試聴感とレコード盤、ジャケットのコンディション:
- 1956年に36歳で亡くなった、カンテルリが残したわずか6曲のステレオ録音。そのうちの貴重な1曲がこのベートーヴェンの7番の交響曲。オリジナルは超高価なレコードですが、このCFP盤は最初期のプレスということで音質は優秀。盤もそれなりの重量があります。オリジナルに近い自然な弦の音ながら、オーケストラ全体には力感があるというEMI初期のステレオ録音の良さがあります。
- 盤は2楽章の終わりに大きくない数回のプチ音があり、小さいチリ音が聞こえるところもありますが全体では良い状態で鑑賞できます。目に見える傷はありません。
- ジャケットは正面コーティング。綺麗な状態ですが、裏面に若干の書き込みがあります。
- それにしてもこの人とフリッチャイとケルテスが、こんなに早く亡くならなければ....。
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