名前があろうと無かろうと、ぶつかりあっていた時代があります。昭和の終わりから昭和30年代は、名前のある人のところにたくさんの人が寄り添いあって復興を目標に動いていた。無名が幾ら声を上げるよりも、俺の名前を使って復興に役立ててくれよという思いの人が多かったのでしょう。昭和40年代。名前のある人無い人の縛りのない時代ではなかったでしょうか。
ビートルズという名前は今ではとても高い位置にあがめられていると思います。でも、ビートルズが来日公演をした時に集まった人たちは、こうした青年たちなんだと感じる認識だったとか。黄色い歓声を上げて、1人が気絶したら自分も気絶しなくちゃと思い女心の共振が狂心に捉えられていくに連れ、伝説化されてしまったとわたしは考えています。