心や身体が覚えたこと、頭の中にある
思いのすべてを歌のよにきみに
伝えることだろう
雨が降る日は雨のよに
風吹く夜には和らぐような
晴れた朝には晴れやかに
読める、そんなブログを毎日残したい。
心はいつでも半開き
でも言葉にして、ブログに書いていると
なにか残るものがある。
おさえきれない情熱に
思いがけない反応が返ってくる。
徒然なるままに日誌とも言えぬブログも15年を数えていました。
2024年11月8日は、昨日からの、今季初の最低気温になりました。昨日は肌寒い朝で、上着をしっかり着込んでましたが、昼過ぎて気温上昇。今朝も早朝のうちだけで、昼前から暖かくなった。好天に誘われて、お昼前に外出。上着のいらない、過ごしやすさでした。どうも、来週は夏日が戻って来る予報です。
今日、正午前に外出したのは、更にラッキーなものを見ることが出来ました。長く飛行機雲が出ているな。と、雲の先を追ったら銀色に光る飛行物がゆっくりと東に真っすぐ進んでいるところでした。時間は11時30分前後の10分間だったでしょうか。最後までは追わなかったので、30分以上の時間をかけて西から東に進んでいったのでしょう。
宇宙ステーション「きぼう」が通過したのは、今朝、4時45分だったということなので。何だったのでしょう。人工衛星でしょうか。
███11月8日█夜
1893.11.06
クラシック音楽365日
大作曲家の生没日。名曲のゆかりの日。11/06
作曲は1893年2月17日に第3楽章から着手。この高揚感満点の楽章は最初から第3楽章だったのでしょうか?
ロシアの作曲家、チャイコフスキー没(1893年)。
ともかくも半年後の8月25日にはオーケストレーションまで一気に完成し、同年の10月15日(グレゴリオ暦では10月28日)に作曲者自身の指揮によりペテルブルクで初演された。あまりに独創的な終楽章もあってか初演では当惑する聴衆もいたものの、いつもならば聴衆の反応、批評に寄って書き直したりもするチャイコフスキーも、この曲に対しては自信が揺らぐことはなかったようです。
しかし大成功の初演のわずか9日後にチャイコフスキーはコレラに感染、肺水腫が原因で急死。この曲は彼のミステリアスを演出するのには他にない音楽になっています。
”THE STORY OF A STARRY NIGHT”
曲は、SPレコードからのものです。チャーリー・スピヴァクと彼のオーケストラによる演奏。チャーリー・スピヴァク(1907年2月17日〜1982年3月1日)は、アメリカのトランペット奏者、バンドリーダーであり、1940年代のビッグバンドで最もよく知られていました。
1942年2月6日の発売。チャイコフスキーの『悲愴交響曲』に歌詞をつけ、フォックストロットにアレンジ、オーケストラとコーラスによる演奏をしています。
かつてラフマニノフ風のコール・ポーター曲が日曜洋画劇場で長年使われていて、秀逸な音楽でしたが、こちらも負けない良いアレンジです。チャイコフスキーの日ということで、偶然めぐり逢ったレコードですがラッキーでした。
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