2025-06-08

おてもやんブログのブログ「アナログレコードの魅力✪昭和の名盤レコードコンサートでご体験ください」が総合ブログランキング18位になりました!

2025-06-08 0
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2025-06-07

記事「奇跡の証し フルトヴェングラー ウィーン・フィル リスト・前奏曲、ワーグナー・ローエングリン前奏曲/タンホイザー序曲」が総合記事ランキング12位になりました!

2025-06-07 0
2025/06/07(Sat)
記事「奇跡の証し フルトヴェングラー ウィーン・フィル リスト・前奏曲、ワーグナー・ローエングリン前奏曲/タンホイザー序曲」が総合記事ランキング12位になりました!
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知識よりも情緒が音楽を響かせて、全体よりも細部が音楽をつくる。楽員はその指揮に従えば、奇跡を体験できた。

DE ELECTROLA E90 097 フルトヴェングラー/ウィーン・フィル ワーグナー・ローエングリン/タンホイザー/リスト・前奏曲 WAGNER

《独エレクトローラ最初期プレス, 220gフラット重量盤》DE ELECTROLA E90 097 フルトヴェングラー/ウィーン・フィル ワーグナー・ローエングリン/タンホイザー/リスト・前奏曲 WAGNER "Lohengrin"1.Akt/Ouverture zu "Tannhauser"/LISZT Les Preludes

  • フルトヴェングラーのワーグナー・ローエングリン(前奏曲)は大変美しい。出だしの弦楽器だけの音色は透明感があり、表現は神々しさに溢れています。また『タンホイザー』序曲では弦楽器の細かな動きの驚くべき雄弁なニュアンス、ウィーン・フィルの繊細な名人芸にうならされます。そして、リストの交響詩「前奏曲」は、これを最初に聞いてしまうと、以降どの演奏をきいても貧弱にしか聞こえなかったほどに素晴らしい演奏である。音も明瞭でフルトヴェングラーの録音のなかでも最も音の良いものの一つとしても高い評価を得ています。
  • 厳粛な精神性ではなく大衆的表現を押し出した、個性が魅力。ウィーン・フィルのメンバーもオペラを理解していたし、フルトヴェングラーの伝えんとすることは心得たものだったのだ。伝え方がフルトヴェングラーは演奏会場の聴衆であり、ラジオ放送の向こうにある聴き手や、レコードを通して聴かせることを念頭に置いたカラヤンとの違いでしょう。
  • 先輩格のニキッシュから習得したという指揮棒の動きによっていかにオーケストラの響きや音色が変わるかという明確な確信の元、自分の理想の響きをオーケストラから引き出すことに成功して云ったフルトヴェングラーは、次第にそのデモーニッシュな表現が聴衆を圧倒する。当然、彼の指揮する管弦楽曲は勿論のこと、オペラや協奏曲もあたかも一大交響曲の様であることや、テンポが大きく変動することを疑問に思う聴衆もいたが、所詮、こうした指揮法はフルトヴェングラーの長所、特徴の裏返しみたいなもので一般的な凡庸指揮者とカテゴリーを異にするフルトヴェングラーのキャラクターとして不動のものとなっいる。
  • 曲が進むに連れ次第にドラマの深淵へと引きずり込まれてゆく。求心力がある演奏で、序曲だけで名作オペラの真髄を知る事ができるくらいです。演奏も全く機械的ではない指揮振りからも推測されるように、楽曲のテンポの緩急が他の指揮者に比べて非常に多いと感じます。しかし移り変わりがスムーズなため我々聴き手は否応なくその音楽の波に揺さぶられてしまうのです。
  • 1954年3月3日-4日(交響詩『前奏曲』)、1952年12月3日、(『タンホイザー』序曲)、1954年3月4日(『ローエングリン』第1幕への前奏曲)ウィーン、ムジークフェラインザール録音。名演、名盤。
年代を考えると音の鮮度は驚異的に高いレヴェルです。
ドイツ最初期エレクトローラ・フラット盤、特に220g以上重量盤は、既に所有されている方はお判りでしょうが、製造工程で付着した凹凸で名演にもかかわらずレコードプレーヤーに載せても「針飛び」生ずる盤多く閉口したものですが、幸い本盤は最初期フラット盤ですがこうした瑕疵事項は無い盤です。半世紀前盤としては既に骨董品の域に入っています。

レコードのディテール

Wilhelm Furtwangler, Vienna Philharmonic Orchestra - LISZT - Les Preludes, WAGNER - Lohengrin prelude, Tannhauser overture

プロダクト

独逸エレクトローラ最初期プレス, フラット重量盤 220g, 英国EMI盤同一輸入メタル 2XVH 原盤使用盤 最初期スタンパー。

レコード番号
E90 097
作曲家
フランツ・リスト リヒャルト・ワーグナー
オーケストラ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮者
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
録音種別
MONO
製盤国
DE(ドイツ)盤
  • フルトヴェングラーはブラームスを評して「非常に客観的な音楽家」といい、「音楽における客観とは、音楽と精神、精神と音楽が結び付いてひとつになった時に起こるのである」といっています。この偉大な指揮者はブラームスの音楽は彼の哲学そのものであると喝破したのです。それは、そのままベートーヴェンにも当てはまり。それがドイツの交響曲に対する彼の表現方法なのだろう。
  • フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。

フルトヴェングラー年譜

1886年(明治19) 0歳
1月25日、ベルリンにて誕生。父は高名な考古学者アドルフ・フルトヴェングラー(1853~1907)。
1906年(明治39) 20歳
2月19日、カイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)を指揮してデビュー。ベートーヴェンの“献堂式”序曲とブルックナーの交響曲第9番を演奏。
1922年(大正11) 36歳
1月23日に急逝したアルトゥール・ニキシュ(1855~1922)の後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1928年まで)およびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1926年(大正15) 40歳
10月16日、初録音。曲目はウェーバーの歌劇“魔弾の射手”序曲。
1927年(昭和2) 41歳
フェリックス・ワインガルトナー(1863~1942)の後継としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任(1930年まで)。
1933年(昭和8) 47歳
9月15日、プロイセン枢密顧問官に就任。11月15日には帝国音楽院副総裁に就任。
1934年(昭和9) 48歳
11月25日、ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥンク日曜版に「ヒンデミット事件」と題した論文を投稿。ヒンデミットの歌劇“画家マチス”を上演禁止したナチスと対立。12月5日、プロイセン枢密顧問官および帝国音楽院副総裁を辞任。1935年3月に両者和解し、指揮台に復帰する。
1937年(昭和12) 51歳
10月8日と11月3日、戦前最高の名盤と謳われたベートーヴェンの交響曲第5番を録音。
1942年(昭和17) 56歳
4月19日、ヒトラー生誕前夜祭でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮。
1944年(昭和19) 58歳
12月、戦災に苦しむ同胞のためウィーン、ムジークフェラインザールにてベートーヴェンの交響曲第3番“英雄(エロイカ)”を放送用に録音。1953年にアメリカ、ウラニア社がレコード化し「ウラニアのエロイカ」として有名な録音となる。
1945年(昭和20) 59歳
1月28日、ウィーン・フィル定期演奏会へ戦前の最後の出演。1月30日にウィーンを発ちスイスへ亡命。第2次大戦終結後、連合軍から戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける。
1947年(昭和22) 61歳
5月25日、「非ナチ化」裁判の無罪判決をうけ、戦後初めてベルリン・フィルの指揮台に立つ。曲目はベートーヴェンの交響曲第5番“運命”、同第6番“田園”ほか。
1948年(昭和23) 62歳
10月24日、ベルリンでブラームスの交響曲第4番を指揮。実況録音が巨匠没後の1959年にLP化され、同曲最高の名演の一つと言われるようになる。
1951年(昭和26) 65歳
7月29日、バイロイト音楽祭再開記念演奏会でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮(7月29日)。このときの録音は彼の没後にLP発売され「バイロイトの第9」として有名になる。
1952年(昭和27) 66歳
11月26、27日、EMIへベートーヴェンの交響曲第3番“英雄”をセッション録音。同曲録音集、また巨匠のセッション録音中でも屈指の名盤との評価を得る。
1953年(昭和28) 67歳
5月14日、DGへシューマンの交響曲第4番をセッション録音。巨匠の最も優れたレコーディングとして知られるもので、音楽之友社刊『新編名曲名盤300』でもこの曲のベスト・ワンとして推されている名盤。
1954年(昭和29) 68歳
11月30日、ドイツ、バーデン=バーデンにて肺炎により死去。

2025-06-04

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2025-06-04 0
6/04 (Wed)
Today's Topics
ドイツの詩人、メーリケが没した日(1875年)。牧師やドイツ語教師として働くかたわら、詩を中心とした多数の文学作品を残した。ブラームス、シューベルト、シューマン、ヴォルフといった同時代の作曲家もこぞって彼の詩に曲をつけ、今でも親しまれるレパートリーとなっている。

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2025-06-03

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2025-06-03 0
2025/06/03(Thu)

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2025-06-02

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2025-06-01

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2025-06-01 0
2025/06/01(Sun)
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2025/6/1(Sun)

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2025-05-31

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2025-05-31 0
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2025-05-30

記事「聴きどころ満載★アンセルメ指揮スイス・ロマンド管 ラヴェル・バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲」が総合記事ランキング17位になりました!

2025-05-30 0

2025/05/30

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2025-05-29

聴いていて空恐ろしい凄さ☆カッチェン、モントゥー指揮ロンドン響 ブラームス・ピアノ協奏曲第1番

2025-05-29 0
驚異的な技巧と深い教養に裏打ちされた音楽的な表現が印象深いカッチェンの演奏は、抒情的な感情に溺れることなく理知的で、現代人の感覚にもストレートに訴えかけてきます。レパートリーは古典から現代曲まで幅広く、弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれる。デッカには40数枚のLP録音を残しました。洗練されたカッチェンの美しきピアニズムは本盤でも遺憾なく発揮され、淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。

ヴィンテージレコードの紹介カッチェンはひとりはるかにブラームスの才能の上を行く。作曲家が想像した以上の域にまで高めていく。

DE DECCA LXT5546 ジュリアス・カッチェン ブラームス・ピアノ協奏曲1番
《オレンジ・ラベル盤》DE DECCA LXT5546 ジュリアス・カッチェン ブラームス・ピアノ協奏曲1番

 驚異的な技巧と深い教養に裏打ちされた音楽的な表現が印象深いカッチェンの演奏は、抒情的な感情に溺れることなく理知的で、現代人の感覚にもストレートに訴えかけてきます。レパートリーは古典から現代曲まで、またスラヴものからドイツ、フランス、アメリカものまで幅広く、デッカには40数枚のLP録音を残しました。 
 洗練されたカッチェンの美しきピアニズムは本盤でも遺憾なく発揮され、淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。数々の英デッカのオーディオファイルレコードで、カッチェンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれる。冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。

レコード詳細

プロダクト

  1. レーベル
    DECCA
  2. 楽曲
    DE DECCA LXT5546 ジュリアス・カッチェン ブラームス・ピアノ協奏曲1番
  3. レコード番号
    LXT5546
  4. 作曲家
    ヨハネス・ブラームス
  5. 演奏者
    ジュリアス・カッチェン
  6. オーケストラ
    ロンドン交響楽団
  7. 指揮者
    ピエール・モントゥー
  8. 録音種別
    MONO
  9. 製盤国
    GB(イギリス)盤
  10. レーベル世代
    ORANGE WITH SILVER LETTERING
  11. カルテ(協奏曲)
    MONO 1枚組(145g), Release 2.60, Stamper 1A/1A。

レコードのカバー、レーベル写真

DE DECCA LXT5546 ジュリアス・カッチェン ブラームス・ピアノ協奏曲1番
DE DECCA LXT5546 ジュリアス・カッチェン ブラームス・ピアノ協奏曲1番
 DECCA レーベルでは早くから録音を開始し、ブラームスのみならずレパートリーの広いカッチェンは、まさに破竹の勢いで演奏活動を行っていた時期に当たります。英 DECCA 社は、この米国の逸材から利益を計上したと関係者から聞いた事が有ります。一頃の DECCA のピアノ部門はカッチェンが背負っていたと云っても過言でないことを証明する名盤。更に付け加えておきますが、モントゥーの躍動感溢れる指揮、交響曲第5番を聞いているようです。収録時カッチェン32歳、モントゥーは83歳の時の演奏です。この後、ちょうど10年後に急逝したことで活動が途切れたことは非常に残念です。ステレオ盤は、SXL2112。

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2025-05-25

記事「♥5月25日(日)12:00から、歌います。平戸城下の森酒造蔵開きイベントにお邪魔します。」が総合記事ランキング17位になりました!

2025-05-25 0
5/25 (Sun)
Today's Topics
イギリスの作曲家、ホルストが没した日(1934年)。ホルストといえば今日、組曲《惑星》の作者としても知られている。生前はイギリスの古い民謡やまた東洋哲学にも関心を示し、その旺盛な好奇心は創作にも影響を与えたと言われている。

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記事「親しみ易さと気取りのなさには達者なヴィオラがいないとつまらない《アメリカ》カルテット〜クラシック名曲ガイド、これを聞け」が総合記事ランキング23位になりました!
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2025-05-24

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2025-05-24 0
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斎藤秀雄が生まれた日(1902年5月23日)。妹婿は澁澤榮一の孫、戦後日本の音楽教育者としてその真価を示した男は傑物だった彼こそ◆小澤征爾の師、5月23日は彼の誕生日

5/23 (Fri)
Today's Topics
斎藤秀雄が生まれた日(1902年)。日本の音楽界に欠かせない存在である斎藤は、チェリストとして活動をスタートし、指揮者、教育者として小澤征爾、秋山和慶をはじめ多くの音楽家を育てたことで知られる。指揮の斉藤メソッドや桐朋学園の音楽教育へとつながる音楽教室の開設、また現在でも小澤ら弟子たちによって作られたサイトウ・キネン・オーケストラの活動からも、彼の果たした役割の大きさがよく分かる。



Hideo Saitou 1902.5.23-1974.9.18

斎藤秀雄が生まれた日(1902年5月23日)。日本の音楽界に欠かせない存在である斎藤は、戦時下教育直前に学びを修め、チェリストとして活動をスタートし、指揮者、教育者として戦後日本のクラシック音楽の世界を支え、技術の向上に貢献した。チェロ奏者としてN響の首席奏者を務め、指揮者としては門下から小澤征爾、秋山和慶、飯守泰次郎をはじめ多くの音楽家を輩出したことで知られる。さらには『指揮法教程』(56年)という、いわゆる〝斎藤メソッド〟を確立し、今もなお世界中の指揮学習者のバイブルとなっている。また桐朋学園の音楽教育へとつながる音楽教室の開設、現在でも小澤ら弟子たちによって作られたサイトウ・キネン・オーケストラの活動からも、彼の果たした役割の大きさがよく分かる。
DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
この『指揮法教程』は1956年に音楽之友社から出版され瞬く間に売れ、レナード・バーンスタインから賞賛されるなど、齋藤の遺した最も大きな仕事の一つである。ただし、その内容は「齋藤の教えそのものではなく、一般向けに内容を平易化しているために誤った理解がなされていること」を弟子の伊吹新一は力説している。
宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる、のは16歳のとき。二十歳になる1922年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿に随伴して、ドイツに留学。1930年、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽院(Musikhochschule)でエマーヌエル・フォイアーマンに師事する。 途中、1927年に帰国しNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年の第30回定期では指揮者としてデビュー。同年にはチェリストとしてもデビューを果たし、1929年に初のリサイタルを開催しているが、遠山一行は「むかし齋藤さんがチェロをひくのをきいたある作曲家が、あれは西洋音楽の音ではなくて日本の太鼓やつづみの音にちかいといったのを覚えている。齋藤さんの分析のなかにある音楽と彼の耳に鳴っている音のリアリティの間には、本当にめまいがするような深い断絶があった」と述べている。 また、齋藤は松竹交響楽団や東京交響楽団などの首席指揮者を務め、戦時中に、井口基成とベートーヴェンの「皇帝」、巌本真理とベートーヴェンのロマンス第1番、第2番を録音している。指揮者としても「あれは、ワルツのお化けだった。ワルツ特有のリズムのくせを、極度に強調し、理づめでつくり上げた結果、演奏からはあらゆるゆとりとよろこびと ― 要するにヴィーンのワルツにあるすべての感覚的精神的美質がグロテスクなまでに歪曲されてしまっていた」(齋藤によるヨハン・シュトラウス作品の指揮に対する吉田秀和の評言)などと評された。 終戦後、ソリストとしては活動しなくなるが、巌本や森正らの室内楽活動に手を貸す傍ら、1948年には井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていく。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品

  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
小澤の師匠であるバーンスタインの代表曲、組曲「『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス」を若き小澤が熱演しています。珍しい、ルッソの「ブルースバンドとオーケストラのための3つの小品」もぜひ一度お聴きください。
門下生だった堤剛によると、齋藤は喫煙中毒者であり、指導中にくわえ煙草でチェロを弾くことも多く、愛器を修理に出した際に胴体から数年分の灰が出てきたことがある。灰を除いたチェロの音については、良くなったという生徒もいれば、味を失ったと評する生徒もいたという。 また、山本直純によると、ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという。門下生の小澤征爾は高校時代、齋藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある。 宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの中に出てくる管弦楽団の厳しい楽長(指揮者)のモデルは、ちょうど留学から帰ったばかりで厳しい指導をしていた新交響楽団での齋藤の姿から考えたのではないか、という説がある。

小澤征爾の四人の師匠

1951年に齋藤秀雄の指揮教室に入門して来たガッチリとした体格の青年が、小澤征爾だった。ピアニスト志望だった小澤青年は、豊増昇にピアノを習う一方で、中学ではラグビー部に所属していた。雨の試合でスクラムで右手人差し指を骨折したためピアノの道を断念したところだった。 
「ボクは先生の親戚の者ですが、指揮を勉強したいんです」 
「われわれが来年桐朋学園という音楽学校を新しく作るから、それまで待ってそこに入りなさい」 
1952年春、出来たての桐朋女子高校音楽科(指揮科)に一期生として入学した。男子生徒はわずか4人で、指揮科の生徒は征爾一人だった。 齋藤の指揮のレッスンはものすごくきびしく、一緒にレッスンを受けていた山本直純と二人でどなられて、齋藤の家の窓から裸足で逃げてきたこともあったらしい。指揮棒でたたかれたり、分厚いスコア(オーケストラの総譜)を投げつけられたりするのは日常茶飯事だったようで、ページがバラバラにとれてしまったスコアを、征爾はあわててかき集めて家まで持ち帰ってきては、バラバラのページをまたセロテープで順番にくっつけていた、と小澤征爾の実弟でありエッセイストの小澤幹雄の『やわらかな兄 征爾』(光文社刊)にある。

ヴィンテージレコードの紹介JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番

豊増昇の名前を知っている音楽愛好家はどれくらいいるのだろうか。豊増昇(1912-75) は1936年に、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽大学でレオ・シロタ、リストの高弟フレデリック・ラモンドに師事し、日本人として初めてベルリン・フィルの定期に出演した日本ピアノ界の草分けの1人。小澤征爾、園田高広、舘野泉のピアノの師としても知られています。少年時代の小澤征爾が、ラグビーで指を骨折し、ピアノを諦めようとした時、「指揮という道もあるよ」と言って新しい道を拓いてくれたのは豊増昇だった。また戦後と現代の日本で活躍している、あるいは活躍したピアニストの多く ― 日本のピアノ黎明期を支えた園田高弘、舘野泉が、豊増昇の薫陶を受けている。作曲家中田喜直の恩師でもあったり戦前戦後の日本の音楽界を陰から支えた名伯楽・豊増昇。あちこちの人生録や、テレビドラマで名前は出てくる存在ながら、残された録音は少なく、そのバッハ、ベートーヴェンの正統的解釈と演奏はドイツ人を驚嘆させたとして有名ながら、音で聴くことが珍しいもの。
JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番

戦前から戦後にかけて日本のみならずヨーロッパ各地でベートーヴェンやバッハの演奏で聴衆を魅了し、ドイツなどの批評家達も絶賛したという。1956年、日本人ピアニスト初のソリストとしてベルリン・フィルの定期演奏会に招かれたことからもその技量は本盤からも窺い知れます。
昭和44年4月リリース。50歳代後半の録音。ドイツの演奏伝統を踏まえながら、卓越したテクニックをと粒のそろったタッチを駆使して鋭い感性のひらめきを見せる彼のピアノ演奏は、まさに〝天才肌〟そのもの。日本人離れした演奏に驚かされます。他に録音が残っていれば、残らず聴いてみたい。2019年秋、吉祥寺のコミュニティセンターでイヴ・アンリさんのコンサートが行われた際、ひっそりとそのスペースに置かれていたベヒシュタインのE型フルコンサートが豊増昇が使用していた楽器を寄贈したピアノだったこと。フレームを塗り直したのか製造番号はなくなっていたものの、支柱のケース番号から1928年ごろの楽器とわかり、豊増が1930年代にドイツに留学していた頃に入手したピアノではなかったかと話題にもなりました。
齋藤は教え子に常々「10回やったら10回全部できなかったら、音楽じゃない。もし演奏会のときできなかったら、どうするんだっ」と説いていたが、齋藤自身は極端な上がり症であり、本番の演奏会で指揮する時は練習の時と全く異なり「先入」という指揮法をやたらに多用した。意識的にやっていたのかと思った小澤征爾から「先生、今日は『先入』ばかりでしたね」と言われると、齋藤は逆上して「そんなこと言うな!俺は先入なんかやるつもりはないけど、そうなるんだ!」と癇癪を起こした。
小澤征爾の四人の師匠

そのころは、桐朋学園の学生オーケストラも出来たばかりで人手がなく、小澤ひとりでみんなの譜面台や椅子の手配から、パート譜の印刷まで一切をやっていた。オーケストラの雑用でヘトヘトになり、自分の指揮の勉強がじゅうぶん出来ないまま、齋藤の家にレッスンに行くと、不勉強だといってどなりつけられるという具合で、半ば絶望的になった征爾が、家に帰ってきて、本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、ガラスをメチャメチャに割って大怪我をしたエピソードを残した。 その時の傷跡を見るたびに、小澤征爾は悔しさを噛み締めただろう。その後の武者修行で、カラヤン、バーンスタイン、ミュンシュと師に恵まれた小澤の頑張りの肥やしになったはずである。 齋藤秀雄の最も著名な愛弟子である小澤征爾は、対談(新潮文庫『音楽』)の中で「普通の先生は、ピラミッドの一番上が目立つからそこを教えたがる。」と前置きにして、4人の師の第1番に齋藤をあげて、こう語っている。「あの先生は、底辺の生徒を教えたがった。教育者として一番おもしろいのは、できないやつが、少しでもできるようになることだって」 教育者が名声を得たければ優秀な弟子を育てればよい。しかし、齋藤秀雄はそうではなかった。優秀でない生徒にこそ、最も真剣に力を入れて教える ― それは教育の目的を生徒自身に置いていることの(あかし)である。彼の情熱的で献身的な指導のもとからは、大勢の音楽家が育った。小澤ら代表的な弟子は、その裾野の広さを象徴する存在なのだ。 齋藤秀雄門下の弟子たちは、毎年夏に集まって数週間の公演を行う。サイトウ・キネン・オーケストラと名づけられたその楽団は世界最高とも言われる絶妙のアンサンブルを誇る。彼らの演奏の前後の談笑や、リハーサルでは共通の師、齊藤の話しが出る。そこで小澤と同じ初期の門下生は、厳しい先生だったと悔しさを夫々が噛み締めたときもあったようだが、齋藤の門下生100名以上、25年間に渡っていることもあって、厳しい先生ではあったが若い門下生が齋藤先生に抱いた印象は違うようだ。師匠の偉大さは弟子によって証明されるものだ。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」

華麗な演奏効果に満ちた『三角帽子』。
DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」

  • スペイン近代の作曲家ファリャの代表作として知られるバレエ音楽『三角帽子』。カスタネットを加えた情熱的なリズムや鮮やかで色彩的な音色を駆使した音楽は、いかにもスペインならではのもの。小澤の熱気溢れる指揮に加え、ベルガンサのメゾ・ソプラノ独唱が演奏に花を添え、聴く者をスペインの世界へと誘います。
1976年10月ボストン、シンフォニー・ホール録音 。


♥5月25日(日)12:00から、歌います。平戸城下の森酒造蔵開きイベントにお邪魔します。

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蔵開きイベントで歌います。

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