9/25 (Thu)Today's Topics
ウインナー・ワルツの創始者、ヨハン・シュトラウス1世が没した日(1849年)。毎年元旦にウィーン・フィルが開催する恒例行事、ニューイヤー・コンサートのアンコール曲といえば「ラデツキー行進曲」だが、この曲も彼が作曲した。当時から「ヨハン・シュトラウスを知らなければウィーンを知っていることにはならない」と言われるほど、彼の音楽はウィーン市民の誇りであり、今もなお世界中で愛されている。
「ラデツキー行進曲」の作曲は1848年。フレデリック・ショパンが結核に苦しんでいる最中で、フランツ・リストはヴァイマルの宮廷楽長として招かれて大ピアニストから、オーケストレーションの名手になるためのワークショップを手に入れたようなもの。この年、彼らが活躍していたオーストリア・ハンガリー帝国に対して北イタリアが独立運動を起こした。これを鎮圧したのがラデツキー将軍。先勝を記念するためにワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世の父、ヨハン・シュトラウス1世が作曲しました。
そうした背景の有る曲をウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでアバドや、ムーティーが楽しげに指揮棒を振っているのですから、面白いものですね。
ニューイヤーコンサートのライヴとはまた別に、レコードの名盤の第1に挙げられるのがフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の「VIENNA」と題されたアルバム。日本では「ウィンナ・ワルツ集」と成っています。ちょっと工夫が無いですね。
アメリカのオーケストラの演奏、指揮者は彼の〝目力の指揮者〟。
シュトラウス一家が作曲した、ウィンナ・ワルツをイタリア、フランスの指揮者が演奏しているのですから、気にする問題ではないのですけど・・・わたしが侮っていたレコードの1つ。近年、改めて聴いて感心しました。今ではシュトラウスのワルツは何を聴く?と問われればライナーの録音を1曲は求めます。