毎朝楽しみにしているNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。今朝の話しで「三海社」がいよいよ登場することになりました。ドラマの中では「三海社」と言うことになっているのですけど、「墓場鬼太郎」が「墓場の鬼太郎」として出版されることになる「三洋社」のことです。
このあと講談社から「ゲゲゲの鬼太郎」として有名になるのですけど、講談社はどういう名前でドラマに出るのかもちょこっと楽しみ。
* * *
ドラマの中で今週は紙芝居時代の「墓場鬼太郎」が出てきましたけれども、それで「紙芝居は一点物。日本中をまわっているうちにぼろぼろになったら捨てられてしまう」とあったように、貸本だって特殊な存在で、原稿は買い取り。オリジナルの原稿は印刷工場で紛失されていくものでしょう。「あとには何も残らない」という番組のある種、貫いているテーマのように感じました。
「ゲゲゲの鬼太郎」は形が改まって登場する度に、現在のイメージに固まってきました。鬼太郎の片目は生まれて地中から出てきた時に、水木青年にすがりついた時に投げ出されて墓石に当たってつぶれてしまった。と言うのがわたしの深く刻んでいるイメージ。その時に痛みと見捨てられた事への鳴き声の訴えに、目玉オヤジを導くことになるというのがとても幼心に響くものがありました。
* * *
わたしが鬼太郎の誕生エピソードを知ったのは、小学校の時の男友達が「鬼太郎夜話」という上下巻のコミックを貸してくれたことでした。上下巻だったけど、冒頭の誕生秘話が印象的で読み進めたのかどうかは今では記憶していません。いつか改めて読み返したいと思っているまま、今に至ってしまいました。
と言うのも「ゲゲゲの鬼太郎」。出版社が違うの絵柄は大目に見ても、コマ割りや話し運びが違っている。最近出版されている「ゲゲゲの鬼太郎」は初出の「墓場の鬼太郎」を復元しようとしているようで、わたしが読み返したい「ゲゲゲの鬼太郎」じゃない。10年前に今のところに自宅を建てて、引っ越しの時に持ってきた「アニメージュ」などを近所の「懐古堂」という古本や、おもちゃを売っている店に買い取ってもらった時に待ち時間の間に古い鬼太郎のコミックを見つけた。その時に買っておけば良かったな、今はその「懐古堂」は消えてしまいました。
* * *
お寺でしゃれこうべをけったくってしまったのは、まだ幼稚園に上がるか上がらない頃のこと。わたしは近所のお兄さんたちの後を一生懸命に追っかけていて、焼いた炭が落ち着いているところを走り抜けようとして脇にあったのをけってしまったようです。
生まれ育った家の近くのお寺に新しい納骨堂が出来る時に、そこに治める時に焼き直されているところだったと言うことを後々母の話で、繰り返し聞かされました。当然だけど、その時のわたしはなんのことか分からなかった。近所のお寺は遊び場で、(お寺は廊下の下が高いから)縁の下やらお地蔵さんの祠の中でかくれんぼやらおっかけっこをして体力をつけることが出来ました。
その頃は肌が弱くて汗疹が直ぐ出来たりしていたので、髪はショートカットと言えばかっこいいけど、おかっぱ。前髪を垂らすとすっぽり鼻まで隠れてしまっていたので、髪留めをしていないで写真を撮ったものなどは鬼太郎のようでした。
* * *
わたしが最初に読んだ「ゲゲゲの鬼太郎」はコミックサイズの本ではなくて、カラーページが多い大判の本でした。月に一巻づつでも出ていたものでしょうか、少年少女文学全集などと一緒に家の隅の本棚にありました。出版社は全く憶えていないけれども、大手流通の本ではなかった感じです。本の後半は読者からの投稿されたメッセージやら、鬼太郎のイラストなどがカラーで載っていました。
確かサインも頂いていたんじゃないかしら。暑中見舞いといった感じの、はがきに印刷されたカラー刷りの鬼太郎のイラストに簡単なありがとうとあるものでした。今で言うプリントゴッコで印刷したような風合いで、ドラマの中で「少年戦記の会会報」が出てきたのに懐かしさを感じました。
恐らくマンガ家の先生から頂いた最初のサインではなかったでしょうか。同じような感じで手塚治虫さんからのはがきなどもあったので、当時の読者との交流は出版社経由ではなかったのかも知れませんね。わたしにとっての「ゲゲゲの鬼太郎」は、アニメーションではなくて水木しげる先生のペンのタッチと色むらのある筆で塗られた色づけなんです。
それで、昭和35年に出版された「墓場鬼太郎」を着色してみることに決めた時、ベタのカラー塗りではなくてテクスチャーでカラリングしてみました。地味な布地でパッチワークしたような感じに仕上がりました。Twitter用のアイコンなので、細かい部分は手抜き。こり出したらきりがありません。
Posted via web from littleconcert's posterous