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おはようございます。夜明けの頃に雨になったけれども午前6時、雨は止んでいます。熊本では今日がお盆の家も多いのでこの状態が保ってくれると良いのですが。西の空、金峰山の朝。
東の空、阿蘇は雲の海に溺れています。お隣の畑も先日トラクターで整地されたばかりだというのに、水たまりが出来て田んぼのようになっています。
夜には激しい雨になるという天気予報。お墓参りまでは無理かなあ。とりあえずは燃えるゴミ出しと降る前に洗濯しなくちゃ。
狼は天使の匂い・・・いや、天使の匂いがすると思ったら狼だった。
北欧神話の主神ウォータンは狼の姿になって人の女の人との間に、ジークムントとジークリンデを産ませた。だとすると、この2人にも狼の血が流れていると解釈できそうですね。思えばモーツァルトのファーストネイムのウォルフガングには、狼が隠れています。黒い森とドイツ国民の生活に狼は縁が深いのかも知れません。
日本人がキツネタイプとたぬきタイプに分けられるとも言うことに、似ているのかも知れません。ウォータンはローマ神話のジュピターのことでもあるから、ヨーロッパ全体に狼伝承があるのでしょう。
オオカミ耳のイタリア女性、綺麗ですね。
仏映画「狼は天使の匂い」のタイトルは覚えがあるけれども、通して字幕で観るのは今夜が初めてになると思います。日本語吹き替え版や、図書館での映画会では見ていると思うけれども印象に残っている場面はありませんでした。
ルネ・クレマン監督とフランシス・レイ音楽のコンビで、昨晩BS2で放送された「雨の訪問者」に続いて製作されました。劇中の音楽も記憶にないけど、テーマ曲は記憶にあるのでNHK-FMの映画音楽の番組の時にエアチェックをして聴いていたのでしょう。
原作は「兎は野をかける」。クライマックスの銃撃戦の中で黒いスーツの男たちの中でぬいぐるみを抱いた少女が、ラメ入りのドレスで一緒に闘う光景は幻想的としか言い表しようがないみたいです。この少女が野をかける兎のようでした。ジャン=ルイ・トランティニャン(トニー)とロバート・ライアン(チャリー)の2人の名優が渋く、少年時代の友情を守りながら孤立した山荘に追い詰められていく、フィルム・ノワール。1960年代のジャン・ギャバンなどのクールさはなくて、1974年2月公開という叙情感漂う一編。観ている間は心地良い空気感が漂っているんだけど、終わってみるとあちらこちらは他の映画と似ているようなシーンと比較しがち。2人の少年時代の場面を織り込んでいるようにルネ・クレマン監督が、1960年代を邂逅しているような印象だけが残りました。
ヴィヴァルディの四季をどういう想いで聴いていますか?きっと、クラシック音楽を鑑賞するという感じではないでしょう。ヴィヴァルディの四季をはじめバロック音楽を、お行儀よく聴いているリスナーは居ないでしょう。
宗教音楽はお行儀よく聴かなければいけません。ミサ曲や、カンタータだけではなくて宗教的な音楽はオペラにもある。ワグナーのパルジファルはオペラとは言っても、正式には「舞台神聖劇」とワグナーが名付けているように第一幕では王様の苦悩、これはイエスの死と重ね合わされても居るものですから幕が下りても拍手をしてはいけないようになっています。オペラだけでなくてオーケストラ曲でもマーラーの交響曲には演奏が終わった指揮者が客席に合図をしたら拍手をして良いと言うことがあります。
時に音が途絶えた途端に拍手をする日本の聴衆がひんしゅくを買うことがありました。拍手をしても「ブラボー」などと発してはいけない音楽があること、プログラムには書いてないことだけど音楽の内容を考えれば分かるでしょう。と言うものです。
音楽は神様へ願いをするために教会で演奏されるようになってから、民間の間では演奏会などを行ってはいけない定めがあった時代がありました。音楽は教会の活動となって、音楽を演奏するのは教会に属した施設の独占となっていたのがヴィヴァルディの時代です。
ヴィヴァルディの別称に、赤毛の司祭とあるようにヴィヴァルディは女の子ばかりを養護した施設で神の教えよりも音楽の練習に熱心でした。ヴァイオリン協奏曲集「四季」も、養護施設の女の子ばかりで演奏するために作曲されました。
協奏曲第1番 ホ長調、RV.269「春」(La Primavera)
第1楽章 アレグロ
Giunt’é la Primavera e fertosetti (春が来た。小鳥たちは嬉しそうに歌い、)
La salutan gl'Augei con lieto canto (春に挨拶する。)
E I fonti alle spirar de’ Zeffiretti. (西風のやさしい息吹きに)
Con dolce mormorio scorrono intanto: (泉はやさしくざわめきながら流れ出す。)
Vengon’coprendo l'aer di nero amanto (黒雲が空を覆い、春を告げるため)
E Lampi, e tuoni ad annuntiar la ellentti (稲妻と雷鳴が選ばれたものとしてやって来る。)
Indi tacendo questi, gl’Augelleti; (しかし嵐が静まると、小鳥たちは再び)
Tornan' di nuovo al lor canoro incanto: (魅惑に溢れた歌を聞かせる。)
別れのワルツのように、作曲経緯からして不特定多数に向けて作曲されたものではなくて全くの個人宛てに贈っている曲がショパンには多くあって、第二次世界大戦前後に「遺作」として出版が続いた曲の多くがショパンが誰にでも弾けるように手直しをした曲ではありません。
それが生前に出版されたものでも、商品として出版されている楽譜と献呈分をつけて贈られた個人所蔵の自筆譜を比較した時にプレゼントした楽譜には終わりの部分が書かれていないのに、出版譜では書き加えられていることからもショパンの出版に対する心構えが分かります。自筆譜には指遣いが丁寧に書いてあるのに、出版譜には指定がないものもありますね。自筆譜は贈った相手の技量に合わせてのものなのが分かります。
ショパンの未発表曲はこれからも出てくる機会があるでしょう。でも、それらは恐らくみんな個人的な贈り物、記念の一筆のようなものだと推測できます。
生真面目な性格でクララとの距離を生涯保ち続けたといわれるブラームス。本当にそうだったのでしょうか。歳の差は14歳クララの方が年上と言っても、けして男と女の間柄の妨げではないとわたしは思う。ましてやロベルトが自殺して未亡人になった時、クララはまだ36歳の女盛りです。夫シューマンの仕事仲間は多くいたとしても、いつも身近にいたブラームスには心も身も頼った夜もあるのではないかしら。四男のフェーリクスの父親はブラームスだったろうとも言われていますね。
ブラームスは新しい曲が出来るとまずは仲間内で試演を行っています。その時の反応次第で手直しをしたり、お蔵入りにしてしまうことがありました。潔いと言えるほどの潔癖さで、楽譜自体を破棄して走行さえ残していないのですから作曲に着手して仕上げるまで時間をかけるところはベートーヴェンに似ていますけれども、曲のために準備したスケッチで使われなかったものは次の曲に使おうというベートーヴェンとは違う行動です。
ブラームスのヴァイオリン・ソナタは全3曲。それぞれ作品78(第1番)、作品100(第2番)、作品108(第3番)と開きはありますけれども、3曲を通して聴いても時間の経過は感じられません。むしろ最初から構想があったように3曲には類似性も感じます。
第1楽章 ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ(快活に、しかし甚だしくはせずに)
明朗な歌い出しで居て少し湿り気を感じられます。今暫くまどろみを楽しんでいたいという感じではなくて、清々しい抒情性を感じます。夜にこの曲を聴くと、これから迎える夜の楽しみにワクワクする気持ちに似た想いを曲の中程の少し焦るように速くなる部分に感じます。また同じ部分も午前中に聴くと、幸せの時間をありがとう。今日も楽しく生活しましょうという感じに聴こえるから面白いものです。(11:11)
サッカーと選挙情報の裏側(?)でタヒチからの皆既月食のUSTREAMにたくさんの視聴者が殺到しています。明日はニュースになるかも知れませんね。
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月に2度ほど熊本県立図書館や、熊本市立図書館では昔の映画が鑑賞できます。熊本市立図書館はホールがあるので、ちょっとした映画館気分。熊本県立図書館は会議室を使ってのヴィデオ再生、プロジェクターを使用してのものだから少し傾いていたり、画面サイズが合って無くてはみ出すことはあっても楽しい。
自宅でヴィデオで観ることが出来るものが多いけれども、時間に集まって知らない者同士で楽しむのは心地良い刺激のあることですね。
夏休みになると毎週の上映会になります。ジブリ作品もプログラムに入っていたりで、となりのトトロは定番。テレビ放送よりも早くに観ることが出来た作品もあったと思います。
幼い頃は町内の子供会での映画界が楽しみでした。「ゴジラ、エビラ、モスラ、南海の大決闘」は、そういう場で観たのかテレビ放送で観たのかは定かな記憶ではありません。台風の情景がとても怖かったようで、怪獣同士の闘いの記憶はとても薄い。「伊勢エビの怪獣だ」と言うことだけを憶えています。この怪獣映画を観てから、食卓に頭付きの海老フライが出る時には「エビラ」だよと騒いでいたのも両親揃っての食卓の楽しい想い出になっています。
大ダコの怪獣(?)もでていたと思いますけど、続編の物語だったのかも知れません。大量生産される時期のゴジラ映画で顧みられることが少ない作品だと思いますけど、大きいスクリーンで鑑賞し直したい1本です。
昔の映画には縦長のポスターが良くありますね。今では映画館ぐらいでしか大判のポスターを観る機会がありませんけれども、夏休みになると学校の帰り道に夏休みの子ども向け映画のポスターがずらりと並んでいたのを憶えています。終業式の日には校門を出ると映画の割引券を配布していました。今でも学校前に立て看板が立っている時になるのですけど、選挙の公報で残念です。人気投票ランキングだと発想を変えれば楽しめるもので、何番に誰が貼られるのだろうという遊びをした記憶もあります。
ちなみにエビラのプロフィール:
『南海の大決闘』のエビラ
南太平洋に浮かぶレッチ島の周辺海域に生息しており、捕食対象には巨大な鋏をハンマーのように振り下ろして攻撃して、もう片方の腕を使って捕食する。ある木の実から作られる黄色い汁が苦手で、レッチ島に秘密基地を構える秘密結社『赤イ竹』により操られていた。レッチ島で眠っていたゴジラを人間が起こしたためゴジラと戦うことになる。水中戦が得意でゴジラを水中に引きずり込こみ、体を鋏で挟み、その固い体は熱線も跳ね返すなどして一度はゴジラを退却させた。最後は鋏をもがれて島から逃げた。
体長:50メートル
ハサミの長さ/右:15メートル、左:13メートル
体重:2万3千トン
フェイント技のペイントがクール。
ヘソピアスのところだけを穴開けているのかと思っちゃいました。最初わたしも気がつきませんでした。
気がつかないでいると損(?)をするよ。と、気づかなかった人に教えてあげたくなるほど素敵に決まっています。流石にフランの女の子は洗練されていますね。センスも、身体も美しいね。
後ろ姿の女性のドレスの柄だと思って良く観ると、裸のお尻。チェックの柄は照明が当たっているのですね。1950年にアメリカで発売されたクラシックのLPレコード・ジャケットです。米ウェストミンスターのまじめな録音で、内容は正当なピアノ独奏です。最初はわたしもオーケストラ編曲されたステレオ録音のデモンストレーションのための録音だと勘違いしましたけれども、けしてポピュラーアレンジされたものではなくて、演奏者もデビューする新人を目立たせるような色物ではありません。
1950年から60年頃までにかけてアメリカで発売された、クラシックのLPレコードにはユニークなジャケットデザインが思いの外多くあります。
Chopin hits in stereo hi-fi
ピアノ演奏:Yuri Boukoff (1, 4)、Paul Badura-Skoda (2, 7, 8)、Raymond Lewenthal (3, 5, 6)、ja Nadia Reisenberg (9, 10)
1950年発売、ステレオ、12インチ盤。
中古盤相場は、1,500円ほど。
唇がいやらしい。--- とある不思議な顔つきのウルトラマン。ずっと昔の記憶で夏祭りの頃、親戚のおじさんがお土産にウルトラマンのお面を下さいました。一瞬明るい顔で嬉しく受け取ったものの、次の瞬間に無視をしてしまって周囲を戸惑わせました。わたしにとっては観たことのない異様なウルトラマンに感じられて怖かったんです。
偽物のウルトラマンだったのか、似ているキャラクターだったのかは分かりませんでした。いずれ知ったのが楳図かずおさんが描いたウルトラマンのコミックがあると言うことでした。映画のノベライズのようにコミック化されているウルトラマンをいくつか読んだ中でも、動きが生き生きとしていると感じました。
宇宙から来たヒーローと言うよりも、宇宙人から命と超能力を貰った地球人ハヤタの活躍という感じです。目が大きいところ、耳の特長も視力の良さ、聴力も遠くで落っこちた針の音も聴こえるって言うのがウルトラマン図鑑にあったように記憶しています。どちらが先なのかは分からないけれども、石ノ森章太郎さんの「仮面ライダー」のルーツにもなっているのではないかしら。
「これが http://twitpic.com/t1ah4 こうなりhttp://twitpic.com/t1adg こうなったhttp://twitpic.com/1ddlwf」
わたしは素敵な“変容”だと思います。お仕事は海の研究者だと伺ってます。2番目の写真に真っ先に気持ちが動かされました。わたしの悪いSAGAでしょうか。
作品番号のあるショパンのワルツは13曲。14番以降の曲は総て「遺作」となります。第14番から第17番まではナンバリングが付いていることもありますが、この「ホ短調のワルツ」よりもワルツ第15番ともされる「ホ長調のワルツ」は7年先駆けて1861年に出版されていますから、しばしば入れ替わることがあります。
ピアニスティックな曲で遺作の中でも人気があるワルツです。曲の冒頭に速度表記はなく、ホ長調の中間部に「ドルチェ=優しく」と表記があります。1830年の作曲、ホ短調で書かれているのでピアノ協奏曲の代替え曲として書く留められたのではないでしょうか。3部形式で主部は8小節の序奏の後にホ短調で示される躍動感あるフレーズで、跳躍が多くショパンのワルツの中では演奏技術の難しい作品になっています。対してホ長調で始まる中間部は甘美かつ優美であり、束の間の心地良い夢といった趣です。それが終わると主部が短く再現された後、華やかなコーダに入り華麗に終わります。第1番、第2番、第5番と並び、演奏技巧の難しい華麗な舞踏用の円舞曲の典型といえます。
楽譜に献呈の名前はない。でも、ある女性のために作曲されたワルツです。作曲当時19歳のショパンはワルシャワ音楽院で一緒に学んでいたコンスタンツィア・グヴァドコフスカに恋していました。その想いは親友ティトゥスに手紙で打ち明けています。
「僕は悲しいかな、僕の理想を発見してしまったのだ。もうこの半年間というもの、毎晩のように彼女の夢を見ているが、まだ一度も口をきいていない。僕は心の中で彼女に忠実に仕えてきた。彼女のことを夢に見、彼女のことを想いながら僕はコンチェルトのアダージョを書いた。そして今朝、このワルツを書いた。君に送ろうと思う。この ワルツの中間部の左手の最高音に託した僕の思い、きっと君なら分かってくれると思う。」
これがコンスタンツィア本人に渡した手紙ではなくて、唯一の胸の内を打ち明けられる親友への手紙であることがショパンの純情を感じられていじらしい。このティトゥスはショパンより2歳年上、兄のような存在だったのでしょう。
曲はモデラートの速度表記。ゆっくりと散歩をしているような叙情詩的なワルツです。右手が2声になっているので弾きわけることが求められます。わたしたち聴き手としてはショパンとコンスタンツィアを聞き分けるようにしましょう。変ト長調の中間部の左手の音型は特徴的で左手の最高音の変ホ音には彼女を思う熱い思い、やるせない情熱が込められており静かな魂の叫びに聞こえてきて聴く人の胸を打ちます。女性を思う気持ちが最高の形で昇華された傑作だと思います。