マーラー
交響曲 第3番 ニ短調
《第3番》はマーラー(1860〜1911)が自作について言葉による説明を試みようとした最後の交響曲であり、初演の際には次のようなプログラムが聴衆に配られたといわれる。
『夏の朝の夢』
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マーラー
交響曲 第3番 ニ短調
《第3番》はマーラー(1860〜1911)が自作について言葉による説明を試みようとした最後の交響曲であり、初演の際には次のようなプログラムが聴衆に配られたといわれる。
『夏の朝の夢』
このレコードは売約済になりました。アナログ・オリジナル盤について詳細はこちらへ amadeusclassics.otemo-yan.net
こちらは英DECCAのオリジナル・プレスだと、とてもヌケの良い録音ですね。とアナログ・オリジナル盤でのウィーン・フィルの音色の良さに感動させられるクラシック愛好家は多い、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲チクルスの1枚。名盤定番度:★★★★★ CDは→ ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」/第6番「田園」
《プログラム》
-1部-
-2部-
--アンコール−
小澤征爾さんの後を受けて、フランツ・ウェルザー=メストさんがいよいよウィーン・フィルの指揮台に立ってくれることになりました。ニューイヤーコンサートも思えばこの数年、ウィーン・フィルとの所縁はあるものの面白いと思わせるぐらいの顔合わせで、往年の指揮者が入れ替わり立ち替わり。長いウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを楽しんできたファンにとっては、息抜き、中継ぎ感はあったと思います。
それもこれも、フランツ・ウェルザー=メストさんの登場を期待していたからですね。日本のクラシックファンにとっては小澤征爾さんの音楽監督就任は嬉しいことでしたし、小澤征爾さんが指揮したニューイヤーコンサートのCDは、過去最高の販売枚数を数えもしました。それも、クラシックのCDの販売枚数のケタを数十倍も超えてポップスチャートに登場するほどだったのですから普段クラシック音楽を聴かない人も購入して聞いたという事になりますね。
しかし、確かフランツ・ウェルザー=メストさんが忙しくて辞退したことから、小澤征爾さんにお鉢が回ってきたんじゃなかったかな。でも何かと話題豊富の結果、ウィーン・フィルの経済は潤ったことでしょう。さあ、いよいよウェルザー=メストさんに本物の「今のウィーン風サウンド」を聞かせて貰いましょう。NHKでの生中継は、NHK-FMと地上波のみでの放送のようです。
今夜は、何色の衣装で登場するのでしょうね。
ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサート2011 演奏プログラム ↓
クリスマスの夜11時(2010年12月25日土曜日)から、フルトヴェングラーのドン・ジョヴァンニがハイビジョン・リマスターでハイヴィジョン放送。オーケストラはウィーン・フィル。1954年のザルツブルク音楽祭での演出、上演を映画にしたもので出来の良さは良く知られた作品。フィルムの劣化か、フィルムをテープに写したものをデジタル・リマスターしたものかカラーのにじみなどはなく鮮明ですが画素数が低い印象があります。
しかし、内容は「ドン・ジョヴァンニ」演出の教科書のようなもので、映画「アマデウス」のドン・ジョヴァンニ上演のステージはそっくり。しかし、映画「アマデウス」での焦燥しきったモーツァルトの表情はフルトヴェングラーは一切見せていません。ともかくもかの世代の男性は生気溢れて体力も充分に備えているようです。オペラ座のオーケストラピットだから、コンサートでの大振りな指揮姿ではなくて顔の表情は変わらなくても眉の表情で音楽に表現をつけています。
楽譜と演奏を前にして、まず問うべき事は音楽とは何かという事だ。音楽というものは生命であり、その大切なものは正確に演奏されたかどうかを問題にするものではない。フルトヴェングラーは楽譜を演奏していない。楽譜に書かれている音楽としての"価値"を演奏していたのだ。彼は・・・そうだ。
フルトヴェングラーの指揮姿は映像で見る機会が増えました。わたしが初めて動くフルトヴェングラーを見たのは、故志鳥栄八郎先生を招いて開催された映像上映会でした。フルトヴェングラーを中心にした音楽ドキュメンタリーのフィルムでしたが、正確なタイトルやその内容は良く憶えていません。ただ、フルトヴェングラーの指揮する姿は妖怪のようでした。長身で特に長い指揮棒で、肩の動き頭の動きが指揮棒が動いていると言うよりも、指揮棒の先が支点になっているマリオネットのようでした。
演奏しにくいだろうな、と思ったようにベルリン・フィルのメンバーよりもウィーン・フィルのメンバーが明け透けに、指揮棒を見ていると演奏しにくいから指揮姿は見ないで演奏をしたといったことは面白かった。要は指揮棒を見なくてもフルトヴェングラーは伝えたい、創り上げたい音楽を共感させることが出来るオーラを発していたのでしょうね。フルトヴェングラーとウィーン・フィルのワーグナーの序曲、前奏曲集はEMIからリリースされている録音が名盤でもあるけれども、ドイツ・プレスのELECTOROLA盤でも聴いてみると新たな発見があるはず。レコード技術が日進月歩の進化をしていたエネルギーをいっぱいに音盤が記憶しています。