黒い影がずっと着いてくる
身を隠すでもなくそっと
前の街から
わたしの行方を見届けようと、鴉が着いてくる
ショーウィンドウに姿を写す
わたしの様子を
上着の中を値踏みするように、鴉は追い越そうとしない わたしの脇を車が通りすぎて止まった
突然大きな羽音がして、
身をすくめたわたしを促した
黒い影は真後ろにピタリとついて、わたしを共に先へ促す シューベルトの歌曲集《冬の旅》から第15曲「からす」
詩は、ヴィルヘルム・ミューラー
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黒い影がずっと着いてくる
身を隠すでもなくそっと
前の街から
わたしの行方を見届けようと、鴉が着いてくる
歌曲の王、フランツ・シューベルトが亡くなった日が今日。1828年の事です。前年がベートーヴェンが亡くなった年で、シューベルトの有名な「未完成交響曲」は1824年の作曲。中学の頃に見た楽聖映画・・・ベートーヴェンやショパンといった作曲家の伝記映画を、戦争前には"楽聖映画"と銘打っていました。わたしが観たのは、図書館での上映だったか、NHKテレビだったか、ローカルの熊本の深夜の映画放送でも観たと思います。熊本の有名な映画評論家さんが前説明をされて、CM無しか、途中で1回か、2回短く1分以内のCMがながれる程度でした。
シューベルトはベートーヴェンを手本にして、交響曲の作曲家を目指していました。指揮者であるとか、諸侯の宮廷音楽家になりたかったようです。しかし時代は、宮廷の音楽からブルジョワジーへと変わっていった時代で父親が運営していた学校の教師を甘んじて従わなければ食事に事欠く次第。ハイドンと同じく、現在のウィーン少年合唱団の前進になる合唱団に在籍していたほどのシューベルトですから、かなりの美声であったと思います。若い頃の肖像は美男子ですね。学校の音楽室で見慣れたシューベルトの肖像は、度の厚いメガネをかけていて美男子とは言えない風体ですけどね。
顔だけではなくて、身体中に吹き出物があったそうです。どうしても音楽家になりたくて、教師の仕事はそっちのけでピアノに向かっていたし、友達づきあいだけは良かったので大人が通うところにも良く通っていたそうです。ウィーンは娼婦宿の有名な地でもあります。川魚とか食べ物も美味しいそうだし、そういった土地は女性の仕事も様々。
SYMPHONIE INACHEVEE
(FRANZ SCHUBERT)
GRAND ORCHSTRE SYMPHONIQUE
sous la direction de SELMAR MEYROWITZ
Paris, 1934
PAT 98 matrix CPTX 342-2 / M6-90764
Ⅰ Allegro moderato
11月6日は、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」初演(1913)。
台風14号が九州の東側を北上しています。沖縄、奄美では大変な被害を出しているようで心配です。さて、熊本は多くの皆様からご心配を頂いていますけれども、朝のうちは東の空は写真のような「不思議な空模様」とは、こういう様子をさしているのではないかと思いました。
不思議な話と言えばオペラには、突拍子もない展開があるものです。クラシックの音楽で最もゴージャス、高級嗜好なので敷居が高いという声もあるけれどもオペラほどストーリーや音楽様式に1度馴染んでしまえばクラシック音楽のジャンルの中で最も面白いものではないでしょうか。
10月29日は、モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》が初演された日です。
円盤は中心近くなるほど、再生が厳しくなります。それが分かっていながら円盤形のレコードが多くのレコード会社に採用されたのは、大量生産が容易だから。シリンダー式の録音メディアは線直線の優位性は認められながらも、円盤形のレコードがミゾの間隔を狭めていくことで長時間の録音、再生を可能にしたのに対して、録音時間が長くなるに連れてシリンダーが大きいか、長いものが必要になってライブラリ性が低くなっていく。100年後の、ベータ方式とVHS方式のヴィデオテープの顛末を重ね合わせれば理解しやすいと思います。
良い音楽なのに録音される、録音されがたいのには曲の演奏時間も関わってきます。売れる曲だと分かれば録音、販売がスムーズなのは言うに知れずですけれどもSPレコードの時代だと、まだまだ売れる曲売れにくい曲は未知数。それよりも録音しやすいという事が大きく立ちふさがっていたのではないかしら。
悲痛な響きを漂わせながら、息絶えるように終わるチャイコフスキー(1840〜1893)の交響曲第6番。“悲愴”というタイトルは、初演を聴いた弟・モデストの発案で名付けられ、チャイコフスキー自身も気に入っていました。ところが、この初演からわずか9日後に、チャイコフスキーは生水を飲んでコレラにかかり、死んでしまいます(一説には自殺ではないかとも言われています)。まるで自らの死を予感したかのようなこの交響曲は、印象的なネーミングもあいまって、広く親しまれています。
TCHAIKOVSKY: Symphony No. 6 in B minor, Op. 74, "Pathétique".
Berlin Philharmonic Orchestra.第2楽章 II. Allegro con grazia 演奏時間 8:42
夕焼け。午前中からお昼ご飯の頃までは空気に厳しさのあった熊本。午後3時を過ぎた当たりからはお洗濯もすぐ乾くんじゃないかと思えるほどの良いお天気でした。もう少しお昼前頃から良いお日和になっていたら出かけられて嬉しかったな。でも、今はそれほど寒さを感じらえずに夜を迎えられそうです。 - from Brightkite
女性ヴォーカルのように聴こえる特徴のある声、気負いのない端正な歌い方に好感を覚えます。1920年代のブルースの録音には黒人女性シンガーが歌っているものばかり。実際には男性シンガーは少なくなかったと思いますけれども、Freddie Spuruellのことは録音された『最初の』デルタ・ブルースマンの1人とされています。歌う声が女性ヴォーカルのように聞こえることも評判と録音を促すことになったのかも知れませんね。
Freddie Spuruell b.? 〜 d.1956
“フレディー”・スプルーエルは、パパ・フレディーという呼ばれ方もあって、戦前のSPレコード時代の録音を集めたブルース集『Mississippi Blues: Rare Cuts 1926-41』には欠かせない録音になっていますけれども生年も不詳、詳しい生い立ちは分かりません。ミシシッピ州で、1956(昭和31)年6月19日に亡くなったと言うくらいです。録音は1936年に集中しています。現在のように頻繁には録音セッションを組むことは出来なかったでしょうから、この時に録音されたものがほとんどではないでしょうか。この「 Your Good Man is Gone 」も1936年の夏の録音だと思います。
弥次さん喜多さん。或いは、八っつあん熊さんといったニュアンスがあるのでしょうか、トムとジェリーと言えばサイモンとガーファンクルが学生時代に名乗っていたコンビ名。そして猫とネズミのトムとジェリーのアニメーション。1932年のアニメーション「トムとジェリー」は、サックス・セールスマンの青年コンビの漫画映画です。ケガをしている飼い犬はスヌーピーに似ているし、ミッキーマウスを思わせるネズミたちも出てきますよ。それにビールを飲む時にアップになった農夫は、ポパイにそっくり。