2010-06-26

ワルツ第14番 ホ短調 遺作 1830年作曲、1868年出版

2010-06-26 0

作品番号のあるショパンのワルツは13曲。14番以降の曲は総て「遺作」となります。第14番から第17番まではナンバリングが付いていることもありますが、この「ホ短調のワルツ」よりもワルツ第15番ともされる「ホ長調のワルツ」は7年先駆けて1861年に出版されていますから、しばしば入れ替わることがあります。

ピアニスティックな曲で遺作の中でも人気があるワルツです。曲の冒頭に速度表記はなく、ホ長調の中間部に「ドルチェ=優しく」と表記があります。1830年の作曲、ホ短調で書かれているのでピアノ協奏曲の代替え曲として書く留められたのではないでしょうか。3部形式で主部は8小節の序奏の後にホ短調で示される躍動感あるフレーズで、跳躍が多くショパンのワルツの中では演奏技術の難しい作品になっています。対してホ長調で始まる中間部は甘美かつ優美であり、束の間の心地良い夢といった趣です。それが終わると主部が短く再現された後、華やかなコーダに入り華麗に終わります。第1番、第2番、第5番と並び、演奏技巧の難しい華麗な舞踏用の円舞曲の典型といえます。

  
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ワルツ第13番 作品70第3 1829年作曲、1855年出版

楽譜に献呈の名前はない。でも、ある女性のために作曲されたワルツです。作曲当時19歳のショパンはワルシャワ音楽院で一緒に学んでいたコンスタンツィア・グヴァドコフスカに恋していました。その想いは親友ティトゥスに手紙で打ち明けています。

「僕は悲しいかな、僕の理想を発見してしまったのだ。もうこの半年間というもの、毎晩のように彼女の夢を見ているが、まだ一度も口をきいていない。僕は心の中で彼女に忠実に仕えてきた。彼女のことを夢に見、彼女のことを想いながら僕はコンチェルトのアダージョを書いた。そして今朝、このワルツを書いた。君に送ろうと思う。この ワルツの中間部の左手の最高音に託した僕の思い、きっと君なら分かってくれると思う。」

これがコンスタンツィア本人に渡した手紙ではなくて、唯一の胸の内を打ち明けられる親友への手紙であることがショパンの純情を感じられていじらしい。このティトゥスはショパンより2歳年上、兄のような存在だったのでしょう。

曲はモデラートの速度表記。ゆっくりと散歩をしているような叙情詩的なワルツです。右手が2声になっているので弾きわけることが求められます。わたしたち聴き手としてはショパンとコンスタンツィアを聞き分けるようにしましょう。変ト長調の中間部の左手の音型は特徴的で左手の最高音の変ホ音には彼女を思う熱い思い、やるせない情熱が込められており静かな魂の叫びに聞こえてきて聴く人の胸を打ちます。女性を思う気持ちが最高の形で昇華された傑作だと思います。

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ワルツ第12番 作品70第2 1841年作曲 1855年出版

ピアノの音が小さすぎる・・・パリに出てきて行ったピアノ・リサイタルで、ホールでの演奏家としては致命的な評価をされたショパン。幼い頃から親しい人たちに囲まれて静かにピアノ演奏をすることが出来たショパンにとっては、ざわついた聴衆を引き寄せるような演奏は出来なかったことでしょう。

ショパンが好んだピアノも弱音が綺麗なピアノでした。マジョルカ島に持ち込んだプレイエル社の最新型のピアノは、アップライト・ピアノのようです。

ワルツ第12番はマジョルカ島からマルセイユのノアン館に戻ってきてから作曲した、叙情的なワルツ。ヘ短調で書かれているからでしょうか、ピアノ協奏曲の幸福な情景に似ています。ゆっくりしたテンポで、優美であでやかなワルツ。二部形式で、ヘ短調に戻らないまま変イ長調のまま終わります。後に来るものを待っているような感じで、聴き終わったあとに音符が中に残ったままになっているような感じを受ける曲です。楽譜はマリー・ドゥ・クルトナー嬢の他ピアノの弟子たちに献呈しています。

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ワルツ第11番 作品70第1 1832年作曲、1855年出版

死後6年経過してから出版された「3つのワルツ」。「別れのワルツ」を含んだ作品69と一緒に5曲の「ワルツ集」として出版しなかったのは何故だろう。

ワルツ第11番は、仔犬のワルツと並んで1分少々で唐突に終わってしまう短い曲です。ウィーンのプラーター公園で聴こえてきそうな、親しみやすさがあります。恐らくサロンで即興的に演奏した曲を忘れないうちにと書き留めたものではないかと思われています。

作品70の3曲は、

  1. ワルツ第11番 変ト長調 1832年作曲
  2. ワルツ第12番 ヘ短調 1841年作曲
  3. ワルツ第13番 変ニ長調 1829年作曲

寄せ集めのような感じはやむを得ずですが、3つのワルツで1曲という構成になっているように聴く事が出来ます。そう考えると、メランコリックな曲調の2曲を作品69として別に曲集としたいとも分かるようです。

 

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ワルツ第10番 作品69第2 1829年作曲、1855年出版

貴族夫人や令嬢、ピアノの弟子に献呈されている曲がほとんどの中で、19歳の時に作曲した「ロ短調のワルツ」はウィルヘルム・コルベルクに献呈されています。1829年の作曲で、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に記録していました。自筆楽譜は残されていません。

ポーランド時代、19歳で作曲したワルツの秀作のような存在だけれども第9番の別れのワルツよりも、こちらの方にがより「別れのワルツ」と標題をつけた方がふさわしいようですね。

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ワルツ第9番 作品69第1 別れのワルツ 1835年作曲、1855年出版

作品64の「3つのワルツ」を出版した2年後、ショパンは亡くなります。39歳、病死でした。大量の喀血をして長い間ベッドでの生活が続いた後のことでした。生前最後になったのは作品65のチェロ・ソナタ。それ以降の曲は作品番号があってもショパン自身のものではなくて、友人だったフォンタナが自筆譜を整理して出版したもの。フォンタナが作品66という番号をつけて出版したのが有名な「幻想即興曲」。ショパンの作品は出版されたものはまんべんなくビジネスとして成功しています。

それまでの作曲家は、出版された楽譜が大ヒットしても出版社に楽譜を渡したらその時に支払われる金額で終わりと言うことが少なくありません。でもショパンは、同じ楽譜をパリ、ロンドン、ベルリンの出版社からそれぞれに発売。これは当時当たり前のように行われていた海賊版楽譜への先制パンチとなる策でした。

自筆譜と初版譜に違いがあることがショパンを演奏するピアニストにも、その録音を聴くわたしたちにとっても楽しい作業です。現在、コルトー版、パデレフスキ版、原典版と楽譜は容易に手に入ります。同じ曲で、同じ演奏家でも、レコードと演奏会では違う組み合わせで弾いていることは珍しくありません。

さて、ショパンのワルツは1960年頃までは14曲が録音されているのが普通でした。ショパンの死後「ワルツ集」として出版された楽譜は2冊。

  • 第9番、第10番 作品69 1855年出版
  • 第11番、第12番、第13番 作品70 1855年出版
  • 第14番 遺作 1868年出版

今わたしたちがCDで「ワルツ集」を購入すると、19曲録音されています。CDを聴く便宜上15番、16番とナンバリングされていることがありますが20世紀になってから見つかった曲で、イ短調のワルツは戦争中に発見されて1955年に出版されました。最近の録音でも14曲だけを録音しているピアニストは多くて、手元にお持ちの「ワルツ集」が19曲録音しているCDだったらおまけだと楽しむのが良いでしょう。

ショパンの死後に遺作として出版された第9番から第14番のワルツの中で、標題の付いている大人気のワルツが第9番「別れのワルツ」。しかし「別れのワルツ」が出版されることをショパンは喜ばないでしょう。

ショパンがパリで作曲したワルツを公開したのは12曲。それ以外の曲は全くのプレイヴェートのための作曲です。

ワルツ第2番で触れた思い出話がこの曲ではもっと重要なものになります。1835年の夏。25歳のショパンは、ワルシャワを旅立つ時に別れて5年ぶりにチェコの別荘で3週間の楽しい時を過ごします。「この日が来るのを本当にどんなに長く僕は待ち焦がれていたかを考えて下さい。幸福、幸福、幸福なのです。僕は嬉しくて、息が詰まるほど接吻します」と本当に嬉しい様を姉への手紙に書いています。事実、両親との時間はこれが最後になります。

この帰りショパンは、ドレスデンに立ち寄ってヴォジンスキ伯爵家をたずねます。ここの長男フェリックスがワルシャワ音楽院時代の学友だったのでした。そしてフェリックスの妹のマリア・ヴォジンスカ(ショパンより9つ年下の16歳)に恋心をいだきます。そのマリアに贈ったのが「変イ長調のワルツ」。ショパンの家柄、人となりは分かっていたので好意的に話は進もうとしていたのですけれども、1つだけ条件がありました。それは病気を治すこと。

結局はショパンの肺病が治ることはなく、マリア・ヴォジンスカとの婚約は2年後にたち切れとなります。この婚約が解消されて別れる際にマリアは2年前に贈られた楽譜を、ショパンに返します。それから18年後、ショパンの遺品を整理していたフォンターナがこの変イ長調のワルツの楽譜と、マリアとマリアの母親のテレサからの手紙の束を発見します。そして手紙の束と一緒に、別れ際にマリアが手渡した一輪のバラが残されていたのです。そのバラにはショパンが書き残した一文が添えられていました。その言葉は「我が悲しみ」。

この「変イ長調のワルツ」が、ワルツ第9番「別れのワルツ」という名前の由来です。楽譜には「マリア嬢へ。1835年10月、ドレスデンにて」と記されています。曲は「分かれ」から連想する悲痛なものは感じられません。むしろ直前の5年ぶりに両親と過ごした幸せの日々の喜びの感情が漂っています。しかし、両親とはまた会えるだろうかという寂しさもあったのでしょう。その寂寥感がこの曲に留まっています。

ジョルジュ・サンドや子どもたちとの生活の間も、この手紙の束とバラ一輪を秘めやかに持っていたショパン。この「別れのワルツ」を聴く時に、わたしたちはショパンの秘部に触れることとなるのです。

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ワルツ第8番 作品64第3 1846〜47年作曲

生前にショパンが出版したワルツは、この第8番が最後になります。ショパン自身が出版前に見直して大きく書き改められた曲もあって、自筆楽譜との相違は演奏者もまた録音を聴くわたしたちも楽しませてくれます。

  • 第1番 作品18 出版:1834年 ショパン;24歳。
  • 第2番、第3番、第4番 作品34 出版:1838年 ショパン:28歳。
  • 第5番 作品42 出版:1840年 ショパン:30歳。
  • 第6番、第7番、第8番 作品64 出版:1847年 ショパン:37歳。

4回の出版で全8曲。間隔の開きがハッキリとしています。ショパンが目を通して許可した出版譜で、3曲の作曲の時期の違う作品34は仕方がないとして、全3曲を一対に構想されている作品64は3曲の関係は面白いです。

わたしが感じるのはワルツ第6番、第7番、第8番に共有のものは「生命」ではないでしょうか。仔犬でも子どもでも構わないけれども、命の輝き肉体の健全な事への喜びを憧れの思いで観ているようなワルツ第6番。第7番は病気への不安、第8番は心配するよりも残す子どもたちや愛する妻を遠くから見守ろうという平安。達観した平安とは違って少し千鳥足で雲の上を歩いているような感じがします。

しかし、ショパンの全作品の中でもこのワルツ第8番は晴朗な音楽になっています。人なつっこい親しさは感じられないでしょうけれども、聴き込むとワルツ集の中で随一の曲だと思えるようになる事でしょう。楽譜は、カトリーヌ・ブラニツカ伯爵令嬢に献呈されました。

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写真は「山野草」。撮影はよしおさん。

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2010-06-25

ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64第2 1846〜47年作曲

2010-06-25 0

聴けば「あっ、この曲は良く知っている」と誰もがなる“嬰ハ短調のワルツ”が、標題のないワルツ第7番です。ショパンのワルツで悲しげな曲は何でしょうか、と問われて代わりに案内される「別れのワルツ」に人気を横取りされていそうです。わたしは「別れのワルツ」の人気は、この嬰ハ短調のワルツが良い水先案内人を演じているからではないかと思います。

ショパン晩年の曲につきまとう哀愁。テンポ・ジュストで演奏されるこのワルツは、訥々と何かを思い起こそうとしているようです。曲のつくりは「仔犬のワルツ」と同じに出来ています。中間部で変ニ長調(仔犬のワルツと同じ調)に転じますが、穏やかな楽想でもメランコリックな感情は維持されています。ワルツと言うよりもマズルカのようですね。病気の進行を感じ始めていたショパンが、元気にかけまわっている仔犬の様子を観ているうちに、自分のこの先の不安を思っていたのではないでしょうか。楽譜はナタニエル・ドゥ・ロスチャイルド男爵夫人に献呈されました。

この曲に標題をつけるとしたら、あなたならどうつけますか。ちょっと、曲を聴いている間だけでも考えてみて下さい。

 

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写真は「考え中」。撮影はよしおさん。

ワルツ第6番 作品64第1 仔犬のワルツ 1846〜47年作曲

小学校の卒業文集に書いた作文と、大学の卒業論文はどちらが優れていますか?ショパンのワルツ第6番は「仔犬のワルツ」として、とても良く聴かれていますね。

「仔犬」があるのなら、「仔猫」もありますか?・・・と、まじめな質問なのか半ば困らせてやろうかという質問なのか。たずねられることがあります。「猫のワルツ」と呼ばれるのは、先に紹介した第4番のワルツ「華麗な円舞曲」です。2曲の間には8年ほどの開きがあります。仔犬のワルツの方が、猫のワルツよりも味わいが薄いとは猫にも失礼ではないかしら。ショパンがサロンで請われるままに即興で書いた曲だから、スケッチを推敲したものではないから劣るのだとでも言いたいのでしょうか。何度も何度もスケッチを描き直して1曲につくりあげたベートーヴェンを楽聖とする判断の一端を垣間見るような比較評論ですね。アドリヴを旨とするジャズよりも再現芸術のクラシックの優劣を論じているように感じられます。

曲は変ニ長調、速度表記は「モルト・ヴィヴァーチェ(もっと速く)」。徐々に加速していくところが、子犬が自分のシッポを追いかけている様子が見えるようです。海外では「1分間のワルツ」と呼ばれていますが、ジョルジュ・サンドが飼っている仔犬の「マルキ」の愛らしい様子を曲にして欲しいと求められて作曲しました。ソステヌートする中間部の優美さはピアノの詩人ショパン独特の世界で、ほろりとする情緒にはうっとりさせられます。楽譜はデルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人に献呈されました。

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写真は「威嚇」。撮影はよしおさんです。

ワルツ第5番 作品42 大円舞曲 1840年作曲

音楽がグンと成長していることを、1番から順追って聴いているとこの5番に来た時に感じます。違和感を感じるほどだけど、ただの成長だけではない、この違和感は何だろう。

長いトリルの出だしにはドビュッシーを予見させます。イントロ当てクイズをしたらドビュッシーの「喜びの島」か、と思い違いをしそうな程似ていると思いませんか。技術的にも要求するものが大きい分、内容もとても充実しているショパンのワルツ中の最高作とされています。マジョルカ島は孤島のようなところに暮らしていましたから、「雨だれ」の前奏曲のエピソードにあるようにサンドや子どもたちが買い物に出てあまりにも帰宅が遅いし降り続く雨に、途中で事故でもあったのではないかとやきもきするようなことはあっても来客に気をとられる心配はなくてバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の楽譜と向き合う時間が充分に取れたことでしょう。

バッハの「マタイ受難曲」の自筆譜から楽器同士の調和を学んだメンデルスゾーン、バッハの末子が持っていた楽譜からフーガを習得したモーツァルト。ショパンは「平均律クラヴィーア曲集」から調和の整った自然な音楽の運ばせ方を自分流の表現方法に昇華することが出来ました。

「ワルツ第5番」は楽譜によっては「大円舞曲」と題されています。「鑑賞する円舞曲」としてだけではなくて、1番、2番、4番に続いて実際に踊るのにも向いているように作られているショパンのワルツの最終的解答と言える傑作です。左手は三拍子、右手は二拍子の早いパッセージは洗練の極み。パッセージとパッセージの間に浮き沈みするなんとも優美なメロディーはシック。その究極のロマンにただただ聞き惚れて下さい。楽譜の献呈者は記されていません。

1839年にショパンの音楽は飛躍的に高度になります。この成長の程は、1番、2番、3番・・・と番号順に聴きすすむと突然別の世界に迷い込んだようになります。作曲された時期に開きがあるのでこういう感じ方になるのでしょう。アレクサンダー・ブライロフスキーのSP録音を1950年にRCAからLPレコードとして発売される時に、通して聴いて自然に楽しめるようにこの「ワルツ第5番」は8番の後に置かれました。

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写真は「ツツジが満開です」。撮影はよしおさん。

ワルツ第4番 作品34第3 華麗なる円舞曲 1838年作曲

ミュンヒンガーが録音したことよりも、イ・ムジチ合奏団の演奏でヴィヴァルディの「四季」が誰にでも知られるきっかけとなりました。ホルストの「惑星」もボールトよりも、カラヤンがウィーン・フィルで録音したことでクラシック音楽のポピュラーな座を手に入れることになりました。

わずか2分半をただかけまわるように終わってしまうショパンのワルツ第4番は、「華麗なる円舞曲」という名前を持っているのに長い間「第2番、第3番」のおまけ程度にしか見垂れていませんでした。それを一躍価値ある曲だと再認識させることになったのが1985年のショパン・コンクール。演奏会でも弾かれることの少ない曲なのに、コンクールの重大な場面で敢えて演奏して挑んだのがスタニスラフ・ブーニンでした。

曲は「ヴィヴァーチェ」の華やかなワルツ。回転するようなパッセージがひたすら繰り出されて、あっという間に消えるように終わってしまいます。ブーニンはこの曲を指が絡まることなく超特急並みのテンポで且つ自由闊達な演奏で楽しませてくれました。それは新鮮でした。音楽が産まれる瞬間とはこういうものだろうかと思わせるものでした。もしかしたらこの時にこの曲は本当の姿を見せてくれたのかも知れません。ショパンが待ち望んでいた瞬間だったのかも知れません。

確かにこの「第4番」のワルツは、出来損ないのはずはない。前年までに「練習曲集」の24曲を完成したショパンが、最高傑作の「前奏曲集」の作曲中、マジョルカ島に持ってきていたバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の霊感を受けて書き落とした曲でワルツ主題に絡んでくるパッセージがあまりにもブレンド良く混じり合いすぎていることが、かえって面白味に欠けるように聴かれてきたのかも知れません。

ちょうど作曲、出版の時期にショパンはジョルジュ・サンドにお熱になっていたので校正フォンターナに任せきってしまって、預けた自筆譜が紛失してしまっています。このことで、楽曲探求的側面から顧みられなくなりがちな事になっている事とも関係があるのかも知れません。ダイクタル男爵令嬢に献呈されたことが出版譜には記されていますが、写しが現存しないので実際に令嬢に届けられたのかは不明です。

 

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ワルツ第4番ヘ長調 by ディヌ・リパッティ(1950年7月録音)  
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写真は「雨と紫陽花」。紫陽花の花は青にも赤にも染まるのは、そのタイミングのたまもの。撮影はよしおさん。

ワルツ第3番 作品34第2 華麗なる円舞曲 1831年作曲

華麗なる円舞曲というタイトルが出版譜にあるけれども、甘い切ない情緒に包まれるマズルカといった方が似合う。技術的にはショパンが作曲したワルツの中でも容易な曲ですけれども、随所に「ピアノの詩人」としてのショパンの天才が現れている屈指の傑作です。ベスト10に選ばれる時にかかされることはありません。

作曲は曲集の中でも初期。ワルツはショパンの故郷ポーランドにおいて、マズルカと並んで日常的な舞曲だといいますから、ウィンナ・ワルツに接した時に「ワルツが作品と呼ばれている!」と驚いたショパンは作品18の「華麗なる大円舞曲」の路線と生活の傍らに寄り添うような素朴なワルツの路線を書いてみたのでしょう。結果的には作品18として華やかなワルツを出版して、パリで受け入れられることになりました。第1番と第3番のワルツは同じ頃に作曲された双子のような関係の曲で、作品18同様に「第3番」も気まぐれなメロディーの連なりになっています。

単純だけど、微妙な感情の変化が表現できるかを問われる技術的には容易でも、聴き手を感動させるのは難しい曲です。演奏家によって千差万別あるのがショパンですけれども、特に演奏家それぞれで表情が違って聴けるのが「ワルツ第3番」ではないでしょうか。ディブリ男爵夫人に献呈しています。

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写真は「潮干狩り」。撮影したよしおさんが暮らしている有明海の近くでは日常的な光景でしょう。日常的なものほどメッセージを伝えることが難しいものかも知れませんね。

ワルツ第2番 作品34第1 華麗なる円舞曲 1835年作曲

第1番の『実用にも使える鑑賞するワルツ』路線を引き継いでいながらも優美さでは秀逸、内容豊かなワルツの傑作です。しかし、この2番と3、4番の3曲は『3つのワルツ 作品34』としてショパンに無断で出版されました。2番は1835年、3番は1834年、4番は1838年の作曲と、新旧の作品が入り乱れています。

出版は1838年、パリのシュレジンガーの勇み足です。当時パリでの、ショパンの人気が評判よかったことが伺えるエピソードです。この頃ショパンはパリから遠く離れた、マジョルカ島のパルマでジョルジュ・サンドと生活していました。このマジョルカ島から友人のフォンターナに宛てた1838年12月28日付の手紙に『シュレジンガーはろくでなしだ。僕のワルツを1つのアルバムにして、ブライトコプフに売り飛ばそうとしたのです』と書いています。

そしてフォンターナへの連絡が間に合ったのか、パリ初版譜を見る限りショパンが最終的に曲を練り直していることは明らかです。

自筆譜が書かれたのは1835年9月15日。二十歳になってウィーンに出てくる時に別れたきりになっていた両親と、この年の夏にチェコの別荘で再会します。5年ぶりの家族との滞在は3週間続き、見送る途上でボヘミアの貴族に招かれます。そして完成した『ワルツ第2番 変イ長調』は、このホーレンシュタイン伯爵の令嬢、ヨゼフィーナに贈られることになります。

ショパンを演奏するピアニストは出版譜と自筆譜を比較して自分の演奏を整えていきます。『第2番』の出版された楽譜では速度記号は『Vivace』となっていますけれども、自筆譜はホーレンシュタイン伯爵の二人の令嬢、アンナとヨゼフィーナが所有していたアルバムに残されていて、これでは『Tempo di Valse』となっています。こうした経緯から、変化に富んだ演奏パターンがあって5番のワルツとこの2番のワルツは技術的難易度の高い曲です。

  
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写真は『熊本城の石垣』。武者返しと呼ばれる作り方で弓なりに石組みが施されています。下から見ると緩やかに見えるので「楽勝」だと登った忍者が上まで登ったところで落下してしまうと言われています。熊本城の催しに実際にこれに挑戦して、武者返しのすごさを実感できるイヴェントがあります。もし石垣上りをクリアしても、石垣の上の建物は張り出すように建てられていて床に穴が開く仕組みになっています。ここから石などを投下して侵入は難易度の高いものと言われています。撮影はよしおさん。

ワルツ第1番 作品18 華麗なる大円舞曲 1833年作曲

ショパンの全作品の中で最も独創性に欠けている最たる1曲です。華やかな変ロ音のファンファーレに始まって、7つのメロディーが次々と出てきます。それぞれのつながりはいささか関係性が希薄です。とは言えショパンの作品ですから非凡な作品で、ショパンの全作品の中では平凡かなという程度。ピアノの詩人よりもショパン個人の顔がでてしまっているという感じで、着崩しの良さがポピュラーに親しみやすさを感じさせることに成功しています。

ショパンはパリに来てまでもウィンナ・ワルツ熱が相変わらずなことに閉口。音楽を聴く楽しみよりも踊るためにふさわしい曲が好まれる傾向にあった事への音楽での反目をしようとワルツを、位や、ワルツという名前の三拍子の舞曲を作曲して出版することにしたのではないでしょうか。

現在ショパンの「ワルツ集」と言えばCD1枚にまとめられて聴かれることの多い、全19曲が出版されています。が、ショパンが生前に出版したのは第1番から第8番までの8曲。第1番にだけショパンは「華麗なる大円舞曲 GRAND VALSE BRILLANTE」と題名をつけています。自筆譜にあるのは「VALSE BRILLANTE」で、出版の際に“GRAND”が加えられたとされています。

第2番、第3番に“華麗なる円舞曲”とタイトルが付いていることもあるので、区別するために“大”が加えられたのではないでしょうか。1834年にパリ、ライプチヒ、ロンドンで次々に出版されると大人気となったのも、ショパンが仕掛けた二面性が出版された“ワルツ集”の楽譜にあったからでしょう。舞踏会場で踊るための実用音楽に甘んじるでは無しに、演奏会で鑑賞する音楽に“ワルツ”をするぞと宣言するようなファンファーレは大成功することになるのです。

 

「大円舞曲」とあるように“ワルツ集”の中でも構成はシンプルな割りに演奏時間は長い曲で、ウェーバーの「舞踏への勧誘」を思わせます。曲の完成は1833年7月10日。浄書自筆譜はローラ・ホルスフォード( Laura Horsford )に献呈されました。彼女はショパンのピアノの弟子で、ジョージ・ホルスフォード将軍の娘です。但しこの時点では繰り返し演奏できるように指定されているだけのダ・カーポ形式で終結部分のコーダは作曲されていませんでした。そうだとすると、ただメロディーを並べただけのような構成力に欠けたところも理解できるように思います。

ショパンの『鑑賞するワルツ』は第3番から登場します。生前に出版された8曲のうち、第1番、2番、4番、5番の4曲が実用向きに作曲されています。

翌年の出版の際にコーダが加えられて『第1番』は現在の形になります。出版されたばかりの完全版は、ショパンが思いを寄せていたマリア・ヴォドジンスカに贈られました。

 

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写真は『楓の新緑』 撮影はよしおさん。

2010-05-07

お・は・よ・❀円舞曲第14番ホ短調遺作

2010-05-07 0



5月5日の熊本の出来事
  • ロアッソ、福岡に1-6 順位8位に下がる:Jリーグ2部(J2)第11節は5日、各地で9試合を行った。6位のロアッソ熊本は福岡市のレベルファイブスタジアムで14位福岡と対戦、1-6で敗れた。通算成績は4勝4分け3敗の勝ち点16で、順位は6位から8位に下がった。 詳しくはこちら→ http://kumanichi.com/news/local/main/20100505012.shtml
  • 守備や打撃の基本学ぶ こどもの日少年野球教室:全国野球振興会(黒江透修理事長)が子どもたちに野球の魅力を伝えようと、毎年全国各地で一斉に開いており、16回目。熊本会場は松岡功祐さん(元大洋)、今井譲二さん(元広島)、松崎秀昭さん(元南海)ら10人が手ほどきした。 詳しくはこちら→ http://kumanichi.com/news/local/main/20100505011.shtml
Chopin - Waltz In E Minor Op. Posthumous by Nathan Coleman 
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chopin-ph-waltz-14-NathanColeman.mp3 (2762 KB)
ChopinWaltz op.Posth



ショパン作曲 ワルツ第14番ホ短調遺作
速度記号はヴィヴァーチェ。華やかなアルペッジョで始まりますが、優雅さとはほど遠い。ワルツのリズムを借りているだけで、たたきつけるような連打が続きます。作曲は1830年。またウィーンへ旅立つ前の作品で、後年の抒情性はまだ感じられません。ポロネーズ的とも、スケルツォ的とも聴く事が出来ますね。
でもホ長調の中間部は、短いながらも左手が先導していて右手が追うように滑らかな音階をなぞるというショパンの特長が垣間見えています。出版は1868年のことで、作曲されてから38年。ショパンの死語19年が経っています。ヘンレ社原典版では「第16番」となっていますから古いレコードやCDとしての発売の時には間違っているものが多いです。
5月5日には、少年野球教室が今年も行われたんですね。小学生の時に1度参加したことがあります。両親が余りかまうことが出来ない家庭だったから、大人の人とのキャッチボールは楽しかったなあ。もっともソフトボールではあったのですけども。

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