2010年3月14日日曜日

人生を愛すると言うことは、一輪の花を咲かせること。大輪の花を咲かせないといけないよ。

2010年3月14日日曜日 0
人生を愛すると言うことは、一輪の花を咲かせること。言い替えれば、花を咲かせるために毎日を生きていると言うこと。
小さくて可憐の花で良いという言葉もあるけれども、わたしが伝えたいことは、どんな形でもどんな色でも良いから、大輪の花を咲かせないといけないよ。と...

SIMPLY RED

午後11時55分からのNHK Bs-hi「ワールド・プレミアム・ライヴ」はシンプリー・レッド・ライヴです。


輝く武器よ!!この槍先にかけて誓う!!

坂本龍一さんのようなグンターだった。周りから祭り上げられて、うっとうしさが出ていて哀れさがいっそうに感じられた。ギービヒ家の当主と言うことで、腰の据わった落ち着いたキャラクターをイメージしてきましたけれども、弟分がしっかりしていくほどに自分だけではどうしようもない存在。誰かが行動を起こしてくれるから、動き回る場所が出来るような感じです。
その音楽が素晴らしいからと、書いた人物像が音楽から受け取れるものに等しいとは思えません。YMOも最初の活動期はメンバーの満足を満たしただけでしょう。伝説となると違う風に観てしまいたいのでしょう。男は男、実際にその人物を丸裸にしてしまうとがっかりしてしまうものです。


YOUTUBEで既に観られるようになっているし、音源は全3幕が鑑賞できます。



昨年(2009)7月6日にエクサン・プロヴァンス音楽祭で上演された、ワグナーの楽劇「神々のたそがれ」がようやくNHKハイビジョン(2010年3月13日、午後11時)で全幕放送されました。指揮はサイモン・ラトル。オーケストラはベルリン・フィルでした。そのことはとても関心をかき立てるものでしたけれども、鑑賞している間そのことには気持ちがいかないものでした。オーケストラピットに入るサイモン・ラトルの姿はしっかり観たけれども、オーケストラの中に強者たちは居たのかしら。「ベルリン・フィルだ」としっかり感じられなかったのは残念でした。
ベン・ヘップナーのジークフリートは、わたしのジークフリートのイメージではなかったけれども歌も演技も良かった。過年に「ベン・ヘップナー、ワグナーを歌う」としてCDがリリースされているのをCDショップの店頭で知った時には戸惑ったけれども「ジャケ買い」させるようなオーラが出ていて、聞いたら満足の1枚でした。ワグナーの掘り出し物がなかった年だったので、その年のわたしのベストに選定したのでした。それが全幕を歌う姿を楽しめるとは思いませんでした。
ダライマンのブリュンヒルデは、ヘップナーとのバランスがとても取れていました。ブリュンヒルデ歌手が休んでいられる場面は少ないのに複数の上演を編集したものでないとしたら満点ではないかしら。
「神々の黄昏」は、最後ワルハラの炎上をむかえることで赤色をイメージカラーだと思っていました。舞台写真では最後の炎上シーンは装置が赤いものかと思っていたんですけれど照明効果で炎の揺らめきを出していました。それも炎そのものと言うよりもラインの水面に揺らめくように映っているかと思われるものでした。直ぐに水の青色に戻ったのにはハッとさせるものがあった。歌も演技もない音楽だけが長々と奏される最後の数分間。ワグナーの楽劇は序奏はともかくも、幕切れはばっさりと言った感じで締められるのですけれどもフルトヴェングラーやショルティのように、持って回った終わりのパッセージではないラトルの音楽だったのにとても印象に残る音楽になっていました。熱くなってくるような音楽でもなかったのに何故でしょう面白いものです。



そして、何よりも面白かったのがワルトラウテをアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌ったことです。北欧神話を原作にしているオペラですから、ワルキューレたちの姿をイメージしやすかったです。「神々の黄昏」で指環チクルスの最後だったようです。となると「ラインの黄金」から通して見返したいと思いました。と言うのも炎上する炎をじっと眺めるでもなくアルベリヒがハーゲンがそれまで持っていた槍を放り投げて、ラインの乙女たちが手にしてはしゃいでいる黄金の指環を求めて川に飛び込む。その場に置き去りにされた槍を拾い上げて座り込みます。ハッとしたのは、楽劇「ラインの黄金」の冒頭。ラインの水底を眺めていたアルベリヒがラインの乙女たちにからかわれていて黄金の存在を知るのですから、大きな環になっているのを感じることが出来ました。
ワルハラは炎上して、神々の時代から対岸で炎を眺めているたくさんの地上の人たち時代に歴史は映るというのがゲルマンの人たちに根付いている考えなのかしらね。
二羽の鴉を飛ばして、世界中の出来事をサーチしてどうしたらいいのかを判断するのが神々の長ウォータンの役目。二羽というところが立体的に観ることが出来ると言うことなのでしょうか。神々の長とは言っても、ウォータン自身はこれといった大きな超能力は持っていません。人望を集める、他の神々をコントロールできるのが能力だと言い替えられるかも知れません。
でも、その力の源は碑文を刻んだ槍。「ラインの黄金」、「ワルキューレ」「ジークフリート」と3作品で重要な役回りを歌っていたウォータンがジークフリートに槍をへし折られてから姿を消してしまいます。「神々のたそがれ」では夢の中でアルベリヒが槍をハーゲンに託すシーンがあります。ウォータンの本当の姿は槍だったのかも知れない。槍は男性を象徴するものであって、指図をする力とも言えそう。
この槍を手に静かにライン湖畔に座り込むアルベリヒ。槍という力を手に出来て、ラインの乙女たちがはしゃいでいる指環には興味がなさそう。対岸で炎に照らされた顔が赤い地上の人間たちに、アルベリヒの姿も脅威として見えていることでしょう。そして模して槍を造るのでしょう。いずれ地上の人間たちは、この槍を巡ってもめることになるのかも知れません。

Festival d’Aix en Provence 2009 – Wagner, Götterdämmerung: (New Produntion) Soloists, Berlin Radio Chorus, Berlin Philharmonic Orchestra, Sir Simon Rattle (conductor). Grand Théâtre de Provence, Aix en Provence, 6.7.2009 (MB)
Siegfried – Ben Heppner
Gunther – Gerd Grochowski
Hagen – Mikhail Petrenko
Alberich – Dale Duesing
Brünnhilde – Katarina Dalayman
Gutrune – Emma Vetter
Waltraute – Anne Sofie von Otter
First Norn – Maria Radner
Second Norn – Lilli Paasikivi
Third Norn – Miranda Keys
Woglinde – Anna Siminska
Wellgunde – Eva Vogel
Flosshilde – Maria Radner
Stéphane Braunschweig (director, designs, video)
Thibault Vancraenenbroeck (costumes, video)
Marion Hewlett (lighting)
Berlin Radio Chorus (chorus master: Simon Halsey)

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おっと失礼しました。

iPad の発売は日本ではまだ先になるようですね。4月3日は、アメリカでの発売です。@gnue さん、ご助言を頂きありがとうございます。
平日の午後とは違って、土曜日の夜となると仕事の合間にたくさんのメールが届いているので見出しだけを見てめぼしいところだけを急いで確認しています。
ちょうど LiveJournal に海外の読者からコメントを頂いて、返信をしたら即座に更に掘り下げた質問を頂いたりと頭が英語モードになっていました。
日本のアップルからのニュースメールだったら、日本語に発売日がなっているはずですね。

下着メーカーとの、iPadの商標使用は解決したのかしら。

Posted via email from littleconcert's posterous

iPad が いよいよ上陸する。

4月3日に、iPad が日本で発売になります。発売直前になって、何かエイプリルフールで動揺させられるような噂が広まるんじゃないかと少しワクワクしています。
4年ほど前にシリコンバレーのニュースのようなもので、マイクロソフトがボード型のタッチパネルの小型PC端末のようなものをオフィスではなくて、屋外で作業などをする企業のために開発したというような記事を読んでから、程なく、テレビのスタートレックでジェーンウェイ館長が私的な日記や、報告書をこうしたパッド型の端末で見ているシーンが印象深く、パンサーが登場した頃でレコード店のオーナーが、ブラウン管でなくなったディスプレーに将来コンピューターはどうなるのだろうとオフィスに2人きりで居る時に話しかけて来たので、パッド型になるだろうと話題を振りました。
オーナーはピンと来なかったようだけれども、マザーコンピューターと言葉でやりとりするのはイメージしやすいようでした。
確かに、声でマザーコンピューターに話しかけるのはマイク越しのやりとりなので分かるのでしょう。まだiPhoneも一般的では無かったので、インターネット接続でワードやエクセル、ブログやホームページの編集が出来るなんて、ハードディスクでも内蔵していないのにと分からなかったみたいです。

ネットワーク上にファイルサーバーがあって、そこに読み込み、書き込みをしているなんて少しパソコンを理解されていたから、なおさらに納得するのにハードルとなったようです。
その頃からでしょうか、衛星の回線を使ってデータのやりとりをしているのに、保険会社、ガス会社、電気会社、そして家庭用の置き薬屋さんが常用しているのが身近に感じました。はじめてそういう在庫チェックをしている姿を観たのは、ずいぶん以前からだったけれども母などは凄いですねと目を丸くしているくらいで、横合いからわたしが説明しても分からないようでした。

パソコンに関心を持ち始めていた母でしたけれども、ノートパソコンでも膝に置けば重いし熱を持つしで余計なことが気になったことでしょう。iPadだったら抵抗無く使えたことでしょう。

iPhoneだと携帯する電話にしては無骨すぎる。小さな携帯とは別に、ノートパソコンの代わりにiPadを携帯する姿は当たり前になるんじゃないかしら。

ノートパソコンとは違って、ボード型とは当初からのコンセプトなのだからディスプレイ面の傷や汚れには強いでしょう。それでも保護シールを貼ったまま使う人は出てくるんだろうな。視認性や搬送時のショックのための保護シールは熱でかえって悪い影響を与えるものです。使用前には剥がすことを奨めます。保護用のシートは別に製品として出ているものに貼り替えましょうね。

iPadの次は、丸めても使えるようになると良いな。

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